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世界の教養「聖書」日本人の9割が知らない本当の魅力をビジネスパーソンに解説

聖書は誰もが知っていて、多くの人が死ぬまでに一度は読みたいと考える一冊です。

しかし、実際に手にとって読むところまで行かない人が大半ではないでしょうか。この記事では、聖書とは縁遠い生き方をしてきた仕事人間の筆者が、聖書を3回読んでわかった魅力の数々を紹介いたします。

正直、一回目は読むのが大変でしたが、2回目3回目と読むことでどんどん面白くなってきて、読むたびに新しい気づきが得られる不思議な書物です。

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教養が深められるだけでなく様々な魅力があります。

1章:聖書のよくある誤解

聖書をまだ読んでいない方が誤解しがちなところを紹介します。

悔い改めれば全てがゆるされる

罪を犯しても悔い改めれば、何でもゆるされてしまう。としたら、ある意味何をしてもOKですので、犯罪者も罪を犯し放題になってしまいます。

これがよくある誤解の一つですが、聖書の神様は人間の心の奥まで見通しているので、本当に心から悔い改めていないと、ゆるしを得ることはできません。

いくら表面的に悔い改めているようでも、心の中で悔い改めていないような偽善者がゆるされることはないので、悪人がゆるされることは絶対にありません。

また、心から悔い改めてゆるされても刑罰はしっかりと受けなければなりません。

例えば、神様から愛されたダビデ王は様々な祝福を受けますが、部下であるヒッタイト人ウリヤの妻を手に入れるためにウリヤを戦場で孤立させて、敵の手によって殺します。

その罪を神様から指摘されて、ダビデ王は心から悔い改めて神様にゆるしをこいますが、神様からは重い刑罰を与えられて、ダビデ王は非常に苦しむことになっていきます。

このように、神様は特別に祝福したものに対しても、罪を犯したことに対して刑罰をしっかりと与えられます。

わたしだけが唯一絶対の神である

わたしだけが唯一絶対の神であり、他は神とは認めない。などと聞くと、とても傲慢な存在のように感じますが、これには前後の文脈があって本当のニュアンスは違います。

現代人にわかりやすく例えるなら、小さい子どもが一人でお使いに行くときに、親が心配して「お外で大人の人に声をかけられて、お菓子をあげるって言われても、ついていってはいけません」と言っているシーンを想像してください。

モーセの出エジプトの時代、周辺の民族たちの神(バアル、アシュタロテ、モレクなど)への偶像崇拝は、子どもを生贄にする儀式、人の道に外れた性的な堕落を行う退廃的なものでした。

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しかも、その道に誘う手口はハニートラップです。

神様は、イスラエル民族たちを守り、堕落と滅びの道を進むことがないように「あなたがた(イスラエル民族)にとって、神はわたしだけとしなさい」という意味で言っているので、全くニュアンスが違います。

アブラハムの子を生贄にしようとした

イスラエル民族の祖先であるアブラハムに、その息子であるイサクを生贄としてささげるように命じますが、これはアブラハムが神様を信じているのかどうかを試すための試練でした。

それよりも以前に、神様はアブラハムに対して「あなたの子孫が星の数ほども増えていく」と約束をしていて、その後実際にイサク→ヤコブ(イスラエル)→12部族と増えていき、イスラエルという国家にまで成長していきます。

神様は人間の生贄を求めているわけではなく、信仰の深さや愛を求めていて時にそれを試します。

沢山の人間を殺した悪神

旧約聖書で神様は、様々な裁きを人間に対してくだしています。

ノアの箱舟の時の洪水、ソドムとゴモラへの硫黄の火、カナンの民族をほぼ絶滅して征服、イスラエル民族の中で偶像崇拝をおこなったものやモーセに反逆した者たちを殺す、などによって沢山の人間を殺しています。

しかし、それだけでなく、正しい人であったノアの一家を救い、ソドムとゴモラに住んでいたロト(アブラハムの親戚)を救い、イスラエル民族をエジプトやカナンの民族たちから救っています。

悪が満ちて悔い改めることがないものたちについては、最終的に命をうばうような厳しい裁きを与えられますが、善人や正しいものたちについては救いの手を差し伸べられています。

例えば、カナンに住んでいたアモリ人などについては、イスラエル民族がカナンの地を離れてエジプトで暮らす400年間の間に「罪が満ちる」とあらかじめ予言されていますが、この期間は罪をおこなっていながらも特に大きくは裁かれてはいないようです。

このように、罪を行うとすぐに滅ぼされるということではなく、それを悔い改めるための期間があって、それでも悔い改めずに罪を重ねていくと、最終的に滅ぼされるという流れになっています。

また、正しい人には救いや祝福を与えて子孫を繁栄させるので、神様は人間を殺したいわけでなく、あくまで清く正しい生き方を求めていることがわかります。

 

2章:聖書の構成

聖書は、1冊の本というより多くの書物をまとめた総称のようなものです。

旧約聖書には、以下の書物があります。

新約聖書には、以下の書物があります。

このように多くの書物で構成されているので、全てを読破するにはかなりの時間がかかります。

 

3章:聖書の物語の大まかな流れ

神様による天地や人類の創造など、神話的な内容から始まり、悪に傾いた人々を滅ぼして、善なる人々を救い子孫を繁栄させていきます。

アブラハムの子孫であるイスラエル民族を導き、約束の地カナンを与えてイスラエル民族を増やし、大飢饉の際には、ヨセフをつかわしてエジプトに逃れさせます。

その後、時代が進むうちにイスラエル民族はエジプトで奴隷になってしまいます。神様に助けを求めた民たちを導くために、モーセが選ばれ使命を与えられます。様々な奇跡を起こしてイスラエル民族をカナンの地へと連れていき、モーセの後継者のヨシュアがカナンの地を征服します。

カナンの地でイスラエルという国家がつくられ、サウル王・ダビデ王・ソロモン王の時代には最盛期を迎えます。しかしその後、イスラエル民族は神様に背いて国家が崩壊していきます。北イスラエルと南ユダの2つの国に分裂して争い、最終的に北イスラエルはアッシリアに滅ぼされて、南ユダはバビロニア帝国に壊滅させられて神殿も破壊されてしまいます。

バビロニア帝国がササン朝ペルシャに征服され、解放されたイスラエル民族は神殿を再建していきます。ここまでが旧約聖書の大まかな流れです。

そして時代が流れて、イスラエルに救世主であるイエス・キリストが誕生します。

その頃のイスラエルは、ローマ帝国の属州となっていて、ヘロデという大王が治めていました。神様に仕える祭司長や律法学者たちが権威を振るっていたのですが、イエスはその者たちの偽善を見抜いて指摘し、民たちへ神様から受けた御言葉を伝えて使命を果たしていきます。

民がそれまで聞いたこともなかったような、新しい教えや気づきを与えたり、病を癒したり、悪霊に取りつかれた人を助けたり、様々な奇跡を起こして、その噂がイスラエルに広がっていきます。

たくさんの民がイエスにつき従い教えを乞うのを見て、祭司長たちは嫉妬と恐れを抱きイエスを捕らえてむりやり処刑してしまいます。その後、イエスによって伝えられた御言葉や為された功績などが、弟子たち(使徒)によって世界に伝えられていきます。

非常にざっくりですが、以上が聖書の物語の流れです。聖書には物語や歴史だけでなく、モーセが神様から授けられた法律集のような書物(レビ記)があったり、人が正しく生きるうえで役立つ教訓を集めた書物(箴言)なども含まれています。

 

4章:聖書を読んで学べること

聖書を読めばどんなことを学べるのか、要点を紹介します。

西洋文化の世界観

アメリカやヨーロッパ諸国など、多くの国が聖書の影響を強く受けています。例えば、大統領就任式では聖書に手を置いて宣誓するなど、政治や社会の基盤にも、文学・音楽・芸術にも聖書の教えに影響を受けています。日本人にはなじみのない聖書ですが、西洋の多くの人々にとっては常識といっても過言ではないでしょう。

古代の人々の法律や祭祀

モーセの十戒と律法は、古代イスラエルの人々が用いた法律を詳細に知ることができます。また、聖殿や幕屋のつくり方や儀式の方法、神に仕える祭祀職が着るための服(エポデ)のつくり方など、多岐にわたる緻密なマニュアルから、当時の人々がどのような祭祀を行っていたのかがわかります。

ユダヤ人(イスラエル民族)の歴史

古代のイスラエル国家がどのように生まれたのか、その過程を詳しく知ることができます。神様の導きによって様々な困難を乗り越えて、約束の地カナンに王国をつくるが、世代が変わって神様に背き、王国が分裂して争いあって崩壊していく歴史が詳細に記録されています。

時代を超えた不変的な教訓

聖書には様々な人物が登場して、神様から使命を受けて活躍します。

しかし、神様の力で成功を手に入れたり、敵を倒してハッピーエンドという単純なものではありません。使命者は神様と民衆との板挟みに苦悩したり、使命の重圧に耐えきれずに諦めてしまう者や、神様からの恵みによって成功した後におごり高ぶってしまう者なども登場します。これらの人物の話から、現代社会の人間関係や、心の悩み、個人的な成長などにも活かせる教訓がたくさんあります。

不思議な奇跡や霊的な働き

神様からの使命者への啓示や、紅海の分断やマナなどの有名な奇跡だけでなく、御使い(天使)の働きやサタン(悪魔)の働きなどもたくさん出てきます。

例えば、創世記にはエバとアダムを騙して知恵の実を食べさせるサタンが登場します。ヨブ記では神様とサタンが対話しているシーンがあります。新約聖書にもサタンとイエス・キリストとの対話があり、サタンがどのような手口で人を誘惑しているのかも垣間見ることができます。

 

5章:ビジネスパーソンが聖書を読むメリット

教養がある人物と思われる

世界的な教養であるといえる聖書ですが、日本人の9割は読んだことがありません。キリストやモーセなど有名な人物の名前は何となく聞いたことがある人も多いのですが、内容についてはほとんど知られていないでしょう。

聖書を一通り読んだことがあるというだけで、他の人が持っていない世界的な考え方を持つことができるので、教養がある人物と思われやすくなります。仕事関係の人との雑談や、取引先との商談など、様々な場面で語れる雑学のような話もたくさん得られます。

西洋人の価値観を理解しやすくなる

西洋の全てではありませんが、非常に多くの国がキリスト教・ユダヤ教の影響を受けた文化を形成し、人々の価値観にも根づいています。
日本人とはかなり違う価値観なので知らないまま接すると、違和感を感じたり理解に苦しむような場面もあるかもしれません。聖書の内容や歴史を一通り知っておくことで、言語化して説明されていない根底にある考え方の違いを認識しておくことができるでしょう。

人間に対する深い洞察が得られる

人が感謝を忘れておごり高ぶっていく心理、偽善者が心の欺瞞を指摘されて怒り狂う心理、大きな使命を任されておじけづく心理、王様から重用される成功者を妬んで陥れようとする心理、人を騙して不当に利益を得ようとする心理など

様々な人物の心理は、自分自身の心を省みたり、周りの人への洞察力を高めたりすることに役立ちます。

考え方のワクを大きく広げられる

聖書を現代の日本人の感覚で読んでいくと、理解に苦しむところがたくさん出てきます。時代も国も全く違うので、置かれている状況も違い、考え方も実際の行動もかなり違いがあるので、わからないことが本当に多くあります。

例えば、アブラハムは妻のサラを自分の妹だと紹介する場面があるのですが、当時はまだかなり野蛮な時代だったようで、美しい女性を手に入れるために、その夫を殺して奪うようなことがよく起こっていたみたいです。更に例えるならば、北斗の拳のようなヒャッハー達が跋扈(ばっこ)する荒廃した世界観のような感じでしょうか・・・。

自分の感覚や持っている視点で見ると「それは間違っている」と思うようなことでも、当時の人々の状況を知ればわかることも多くあります。聖書に出てくる古代の人々の不可解な行動を、現代人の感覚でジャッジしても仕方がないので、自分の考え方のワクを一旦外して視点を広く大きく持つことにも役立つでしょう。

 

6章:筆者が聖書を読んだ感想

わたしは2022年から2023年にかけて、1年弱かかってようやく読破しました。

はじめは旧約聖書からチャレンジしたのですが、レビ記からが難しくてどうしても読み進めることができなかったので、一旦諦めました。そして、先に新約聖書から読むことにしてみました。

新約聖書の感想

初めて読んだとき、本の構成がわからなくて混乱しました。なぜならほとんど同じ話が何度も出てくるのです。もしかしたら、自分が既に読んだところをまた読んでしまっているのか?などと思って、ページ数と目次を確認してみると、間違えてはいないようでしたので取りあえず読み進めました。

後になってようやくわかったのですが、マタイの福音書・マルコの福音書・ルカの福音書・ヨハネの福音書の4つは、イエスと行動を共にしていた4人の使徒が、それぞれイエスの行いについて書いたものなので、内容が基本的に同じなのでした。

内容的には、イエス・キリストという人物が主人公の物語のような感じなので、普通に面白く読み進めることができます。色々なエピソードがあり、イエスが語った言葉や生きざまには大きな気づきがあります。わたしはこれを読んで感動して心が熱くなりました。また、イエスを殺した者たちへの怒りが湧いてきてしまいました。本当に素晴らしい話で、今まで読んでこなかったことに後悔したのが率直な感想です。

その他にも、イエスが死んだ後の使徒たちの働きや、パウロという使徒が世界中の人々に送った手紙、ヨハネの黙示録という終わりの時を予言した不思議な書物などがあり、聖書の魅力と隠された謎をもっと知りたいと思うようになりました。

旧約聖書の感想

新約聖書がことのほか面白かったので、その勢いのまま旧約聖書も読み進めようと再チャレンジしまして、初めよりは読めるようになっていきました。レビ記の詳細な律法などはある程度読み飛ばしつつ、まずは物語の流れを理解しようと思い、毎日ほんの少しづつですが読み続ける習慣をつくっていきました。

特に難しく感じる部分が、馴染みのないカタカナ名が多すぎるところです。紙にメモしながら読まないととてもじゃないけど頭に入ってこないのです。わたしは聖書用にノートを用意して、人物の系図などを書いて情報を整理しながら読みました。

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人名なのか地名なのかわからなくなります…

サムエル記のダビデ王やソロモン王あたりまでくると、戦士や国と国の戦いなどの物語が多くなっていくので、だんだん読みやすくなっていくと感じます。

一通り読んでみて意外だったのが、ユダヤ人(イスラエル民族)たちが何度も神様を裏切ってしまうことでした。神様は民たちの願いを聞き入れて助けるのですが、しばらくして平和になると、自分たちの好き勝手に生きるようになり、神様との約束を破ってしまいます。何度も繰り返されるこのパターンを見ていて、私は神様に「もう、この人たちは助けなくてよいのでは?」なんて思うようになりました。

新約聖書から旧約聖書を読んでみて気づくのは、実は旧約聖書に登場する預言者の言葉の中に、キリストの誕生を示唆するものや、ヨハネの黙示録に続くような終わりの時の預言がちりばめられていて、壮大な謎解きのような要素もあることです。聖書に込められた暗号のような謎を解いていく楽しみもあると思います。

 

7章:なぜ聖書をビジネスパーソンへ紹介したいのか

わたしは40代になってから聖書を読んだのですが、もっと早く読めていたら良かったと思いました。

20代の頃は会社員として必死に働き続け、ビジネスに関することを沢山学んで、スキルを磨いたり新しい考え方やノウハウを取り入れてきました。

30代は独立して忙しく働き続けながらも、自由な時間が手に入ったので、ボランティア活動をしたり、精神的・霊的なことも学ぶようになりました。目に見えることばかりでなく、目に見えない不思議なことも重要だと考えるように変化して行けたと思います。

40代になって、それまでになかった大きな苦難に見舞われて、人生に絶望する寸前のところまで行ってしまったのですが、そんな時に救いになったのが聖書と御言葉の学びでした。

聖書は人生の苦難や深い悩みから救ってくれる、奥深い示唆に富んだ素晴らしい書物です。そこに記された神の御言葉は、決して耳障りの良い言葉ではありませんが、自分の心を省みて成長を促してくれる真に価値あるものばかりです。

ビジネス書のように、読めば今すぐ実行できるノウハウが得られるものではありません。しかし、人生に良い影響を与えてくれるので、一日も早く読むことをおすすめしたいと思っています。

私が苦難の時に聖書に救われた体験は、以下の記事にまとめています。
承認欲求を捨てよ。人生の深い苦しみから解放されたこと

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最後までお読みくださりありがとうございます。