日々、多くのものを得ようとしてあくせく働いているにもかかわらず、人々の心には喜びよりも苦しみが積みあがっていくようではないでしょうか。この記事では「与えることで幸福になる」ことについて具体的に考えて、実践する方法を紐といていきます。
わたし自身は、これまで働きながら本業とは別に10年間無償のボランティアを続けて来て、多くの喜びを得ることができたので、本題に絡めてその話も少し紹介させて頂きたいと思います。
与えることの大切さを説く名言
「与えることは、愛の最も純粋な表現である」 – オスカー・ワイルド
「与えることは、心の豊かさを育む」 – マハトマ・ガンジー
「他人に与えることで、自分自身も豊かになる」 – ラルフ・ワルド・エマーソン
「与えることは、受け取ることの始まりである」 – ウィンストン・チャーチル
「受けるよりも与えるほうが幸いである」 – イエス・キリスト
昔から与えることの大切さを説いた様々な名言があります。どれもその素晴らしさを伝えてくれていますが、実際に日々の生活の中で「与えること」を実践するとなると、難しさを感じるのではないでしょうか。
人はみな幸福を得ようともがいているにもかかわらず、なかなかそれを得られないため苦しんでいます。この記事では、得ることよりも与えることを実践することで、幸福に生きる方法を考察していきたいと思います。
2割の喜びと8割の苦しみ
何かを得ることは喜びとなります。例えば、お金・名誉や栄光・資格や権利・素敵な恋人・親しい友人などを得られると、心には大きな喜びが得られることを、多くの人が体験されていることとと思います。
しかし仮に、一週間のうち5日間を苦しみながら働き、2日間の休日を喜びとして生きるなら、約28.57%が喜びと言えますが、実際には一週間働くための休憩に当てられている時間もあるので、喜びを感じられる時間はもっと少ないかもしれません。
素敵な恋人を得られたとして、初めはとても大きな喜びを味わうことができます。しかし、そのパートナーが心変わりしてしまったら、どれほど苦しむでしょうか。もしくは、自分が心変わりしたのに相手から執着されたらとても苦しい関係になってしまいます。
また、長く付き合ったり結婚することもあるでしょうが、5年・10年と月日が過ぎるとどうなっていくでしょうか。そのほとんどがパートナーと一緒にいることに苦痛を覚えるようになってしまいます。あまりの苦しさから、場合によっては離婚や別居をしたり、他の人に癒しを求めてしまうケースもあります。
名誉を得たり資格を得ることも喜びになりますが、それを維持していくために苦労したり世の中の環境が変わってきたりして、名誉や資格によって満たされていた承認欲求や虚栄心などを失ってしまうことに、強い喪失感や苦しみを味わうこともあるでしょう。
このように、何かを得ることは喜びを得ることにもなりますが、それを得る過程や得た後で、大きな苦しみに耐えなければならないことも考えておく必要があるでしょう。また、人の心理は何かを得ることよりも失うことに注目する傾向があります。そのため、同じ量のものを得て失っていたとしても、失ったものの方に強く心が向いてしまいます。
自分を苦しめる執着心を捨てる
どれだけ得たいものを得たとしても、喜びを感じられる時間は短く、苦しみを感じている時間の方が圧倒的に長いのだとしたら、何のために頑張っているのでしょうか。
たとえ誰よりも多くのお金を持っていて、物質的に満たされていても、心が苦しみで満たされているならば、その人は幸福とは言えません。「幸福な人」を突き詰めると、心が喜びに満ち溢れている人のことと言えるでしょう。
まずは、これまで得てきたものを「失いたくない」という執着心を、捨てることができれば苦しみが少なくなります。世の中の価値観や人の気持ちは、どんどん変わって行くので、それに執着してしまうと失うことに強い苦しみを感じることが避けられなくなります。そして、また何かを得ようと欲するばかりでなく、むしろ逆に何かを与えるようにしていくと、心が喜びに満たされます。
また、得られないことを得ようとして囚われている心を捨てることも大切です。例えば、親しい人からの愛や感謝、世の中からの賞賛や承認欲求。それらを得られないことによって感じていた悲しみや憤り、劣等感などの感情も含まれます。自分を苦しめるものを手放していきましょう。
わたしも色々なものを手放そうと努力していて、詳しくは以下の記事に書きました。
しかし、見返りを求めずに与えることによって得られる喜びは失われることがありません。また、実際に見返りを求めず与えることでしか気づけないことがあります。
愛で与えなければ気づけないこと
自分以外の誰かのために、見返りを求めずに愛で与える行動をしてみると、相手はそれが愛であることに気づかないかもしれません。例えば、赤ちゃんにいくら世話をしてあげても、頭でそれを理解して感謝することはできません。
しかしある時、その愛を与えている自分も、誰かから同じように愛をもらっていたのだということに気づきます。
自分が赤ちゃんの時、幼い子どもの時、何か困ったことがあった時、誰かがひっそりと愛の心を向けていた可能性があったことを考えることができるようになります。これは、そのような心を持ったことがある人にしかわかりません。子どもの頃には気づかなかった親の苦労を、自分が親になってはじめて気づくのと同じです。
まずは与えてみる。相手は気づかないかもしれませんがそれで良いのです。しかし、もし気づいて感謝してくれる人がいたらどうでしょうか?きっと、心が大きな喜びに満たされるのではないでしょうか。
その活動の中で、たまに不意打ちのように感謝の言葉を伝えてくれる子どもたちがいて、ボランティアスタッフの大人たちに喜びの涙があふれる場面があります。
感謝されることを期待してボランティアをしているのではありませんが、感謝してもらえると本当に嬉しいのです。
感謝する気持ちを持ち続ける
与えることで、自分もまた与えられてきたことに気づけると、感謝の気持ちも湧いてくるようになります。
これまで見返りを求めずに、与えてくれた人に感謝の気持ちを言葉や行動であらわしてみましょう。そうすると、きっと相手の心は喜びで満たされます。それと同じようなプロセスであなたの心も喜びに満たされていくはずです。
その時まで、たくさんの喜びの種をまいていきましょう。いつかそれが返ってきて、またあなたに与えられるかもしれません。
最後にもう一つ与えることの大切さを説く名言を紹介いたします。
わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。(新約聖書 コリント人への手紙 第二 9章-6より)
「与えること」について具体的に紹介してきました。この記事が皆さまの考えるヒントになりましたら幸いです。あなたが幸福に生きられますように。
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