「自分が嫌いでたまらない」——そんなふうに感じたことはありませんか?
ふとした瞬間に湧き上がる自己否定、誰かと比べてしまって感じる無価値感。
誰にも言えずに、自分の中で責め続けてしまう気持ち。
この記事では、自己嫌悪に悩むリアルな声を紹介しながら、
心理学・文学・聖書の視点を通して、その根っこにある感情や背景をひもといていきます。
さらに、今すぐできる自己嫌悪への対処法や、
心療内科・向精神薬にまつわる注意点、
最後には“癒しの音楽”と“物語”もご用意しています。
自分を責めすぎてしまうあなたへ。
この記事が、心の奥にあるやさしさや赦しに出会うきっかけになりますように。
Contents
1.リアルな悩み相談事例|「自分が嫌い」な声が止まらない
「なんでこんな自分なんだろう」
「自分が嫌いでたまらない」
そんな言葉が心の奥から湧いてきて、止められなくなることはありませんか?
自己嫌悪は、目に見えないけれど確かに人を苦しめます。それはときに、人間関係を壊したり、チャレンジの気力を奪ったり、自分の存在すら否定したくなるほど、深く心に影を落とします。
ここでは、実際に寄せられた相談の中から、特に多くの人が共感しやすい3つのケースをご紹介します。あなたの心にも、どこか重なる部分があるかもしれません。
親との関係から自己否定が始まった女性のケース
ある30代の女性からの相談です。
子どものころ、親から「そんなことじゃダメ」「どうしてあなたは〇〇できないの」と、日常的に比較されたり、否定されたりすることが多かったそうです。
大人になっても、何か失敗をするとすぐに「ああ、私ってやっぱりダメなんだ」と感じてしまい、仕事や人間関係でも「嫌われてるかもしれない」という思いにとらわれやすくなっていました。
彼女は言います。
「いつも自分を責めてばかりで、心が休まることがありません。
自分を好きになるなんて、どうしたらいいのかもわからないんです。」
──「親との関係」から始まった自己否定は、言葉にならない傷を残します。
過去は変えられなくても、その影響に気づいたときから、心の癒しは始まるのです。
SNSでの発信が怖くなった大学生の告白
大学生の男性は、もともと絵を描くのが好きで、SNSに作品をアップするのが楽しみだったそうです。
けれどあるとき、少し辛口なコメントがついたことをきっかけに、発信するのが怖くなってしまいました。
「本当は“自分の表現”を大切にしたいのに、誰かに何か言われるたびに“やっぱり自分なんて…”って思ってしまうんです。
気にしすぎだとは思うんですけど、投稿ボタンを押すだけで手が震えるようになりました。」
表現することが「喜び」から「恐れ」へと変わってしまったとき、人は心の奥に深い自己嫌悪を抱えていることがあります。
その背景には、「人からの評価」に心が大きく左右される、繊細な感受性が隠れていることもあるのです。
ちょっとした失敗で自分を責め続けてしまう人たち
「会議で噛んでしまった」
「LINEの返信で言葉を間違えた」
「家族に強く言いすぎてしまった」
そんな“小さな失敗”に、何時間も何日も引きずられてしまう。
──そんな人も少なくありません。
ある主婦の方は、「子どもに少しきつく言ってしまった自分が許せなくて、夜になると涙が止まらない」と語っていました。
また、営業職の男性は、「お客さんの前で失言したことを何度も思い出してしまって、胃がキリキリする」といいます。
共通しているのは、「失敗した出来事」よりも、「そのあとで何度も自分を責め続けてしまう心のクセ」が、人をより苦しめているということです。
次の章では、こうした自己嫌悪の“心のしくみ”について、心理学の視点からわかりやすく解説していきます。
「なぜ、こんなにも自分を責めてしまうのか?」その背景を知ることが、癒しへの第一歩になるかもしれません。
2.心理学から見る自己嫌悪|「私なんて」の正体とは?
「どうせ私なんて」
「自分なんか、いないほうがいいかもしれない」
そんなふうに、自分を否定する声が心に住みついてしまうと、前に進む力さえ奪われてしまいます。
でも、そんな自己嫌悪にも、ちゃんと“理由”があります。
なぜ、私たちはここまで自分を責めてしまうのか?この章では、心理学的な視点から、そのメカニズムをやさしくひもといていきます。
自己嫌悪とは何か?よくある誤解と本当の意味
「自己嫌悪」と聞くと、多くの人が「性格の問題」や「自分が弱いせい」と思いがちです。けれど、心理学的に見ると、自己嫌悪とは心の防衛反応のひとつでもあります。
たとえば、小さなころに「怒られないようにしよう」と思って、何か失敗をすると「自分が悪いからだ」と自分に矢印を向けることで、“関係”や“安心”を守ろうとする子どもは多くいます。
この「自分を責めるクセ」が、大人になっても無意識のうちに続いてしまうことで、自己嫌悪という形で現れてくるのです。
つまり、自己嫌悪は“悪者”ではなく、かつてのあなたを守ってくれた仕組みでもある。そう気づくだけで、少しだけ、自分へのまなざしがやわらぐかもしれません。
「認知のゆがみ」がつくる自分責めのループ
心理学では、物事の受け取り方のクセを「認知のゆがみ」と呼びます。
これは誰にでもあるもので、特に自己嫌悪が強い人ほど、以下のようなゆがみを抱えやすい傾向があります。
- 全か無か思考:「ちょっと失敗した=全部ダメ」
- 過度の一般化:「一度失敗した=私はいつも失敗する」
- 心のフィルター:「うまくいったことは無視して、ダメなことだけに注目する」
こうした思考パターンが、自分への批判の声を強めていきます。
たとえば、仕事で小さなミスをしたとき、
「自分は無能だ」と即断する人と、
「ちょっと疲れてたな。次に気をつけよう」と思える人とでは、
心のダメージが大きく違ってきます。
大切なのは、「ゆがんだ認知=あなたの本質」ではない、ということ。
それはただ、思考の“クセ”なのです。
無価値感・罪悪感・インナーチャイルドの影響
自己嫌悪の背景には、よく「無価値感」や「罪悪感」が隠れています。
「こんな私には価値がない」
「人に迷惑をかけてしまう私はダメだ」
そう思ってしまう感覚は、実は多くの人に共通しています。
こうした感情は、子どものころの家庭環境や学校生活、失敗体験などに深く根ざしていることが多く、「インナーチャイルド(内なる子どもの心)」の傷として語られることもあります。
たとえば――
- 親に褒めてもらえなかった
- 兄弟と比べられて育った
- 学校でからかわれた、無視された
- 感情を出すことを「わがまま」と言われた
こうした体験が積み重なると、「自分は大切にされる価値がない」という“信じ込み”が心に根を張ってしまうのです。
それは決して、あなたのせいではありません。ただ、「その傷がまだ癒えていない」というサインかもしれないのです。
次の章では、そんな自己嫌悪の感情に対して、今日からできる、やさしいステップをご紹介していきます。
3.今すぐできる!自己嫌悪を和らげる3つのステップ
自己嫌悪の感情は、放っておくとどんどん膨らみ、やがて心の景色をすべて「ダメな自分」で塗りつぶしてしまいます。
でも、ほんの少しだけ、心の中に光を差し込むことはできます。完璧を目指さなくて大丈夫。“できるところから”でいいのです。
この章では、誰でもすぐに取り組める「自己嫌悪をやわらげる3つのステップ」をご紹介します。
ステップ1|感情をそのまま書き出す
まずは、自分の中にある“ぐちゃぐちゃ”を、そのまま紙に吐き出してみることから始めましょう。
方法はシンプルです。紙とペン(スマホのメモでもOK)を用意して、今感じていることを一切加工せずに書いていきます。
たとえば:
- 「なんであんなこと言っちゃったんだろう」
- 「私なんて価値がない」
- 「消えてしまいたい」
つらい言葉でも構いません。感情にフタをせず、“ありのままの気持ち”に触れることで、心は少しずつ落ち着いていきます。
ポイントは、「誰かに見せるため」ではなく、「自分のため」に書くこと。それはあなた自身への、最初のやさしい対話になります。
ステップ2|「自分にツッコミ」を入れてみる
自己嫌悪にとらわれているとき、私たちは極端にネガティブな“ストーリー”を自分に語りがちです。
たとえば――
「会議で噛んだから、私はダメな人間」
「友達にLINEの返事が遅れたから、嫌われたに違いない」
でも、少し冷静になって「ツッコミ」を入れてみると、こう言い換えられるかもしれません。
- 「いやいや、噛んだくらいで人間としてダメってどういう理屈よ」
- 「返事が遅れても、大事な友達ならそれくらいで関係は壊れないよね?」
自分で自分にツッコミを入れることで、認知のゆがみがやさしくほぐれていきます。
ふだん友達にやっている「励まし」や「なぐさめ」を、今日はぜひ、自分にも向けてみてください。
ステップ3|心を温める「やさしい習慣」を持つ
最後は、「自分の心が少しだけほっとできる時間」を、意識的に生活に取り入れることです。
それは、こんなことでかまいません。
- あたたかいお茶をゆっくり飲む
- ペットをなでる
- 好きな香りをかぐ
- 夜寝る前に、今日がんばった自分をほめる
大切なのは、「自己嫌悪をなくすこと」よりも、「自己嫌悪に巻き込まれない時間を、少しずつ増やしていくこと」です。
あなたの心が、少しずつ緩んでいくとき、自己嫌悪は“付き合える感情”に変わっていきます。
次の章では、薬に頼る前に知っておきたい大切な視点について触れていきます。 実際に「薬を使ったけれど、後悔している」という声も含めて、心と向き合う方法を考えていきましょう。
4.心療内科と薬の危険性|「薬を使ったけど後悔している」という声の背景
「苦しくて病院に行った」
「先生にすすめられて薬を飲みはじめた」
――それは、決して間違いではありません。
心の痛みが強いとき、薬が「救い」となることも確かにあります。でも一方で、「薬を使ったけれど、思っていた結果にはならなかった」と感じている人も少なくありません。
ここでは、そんな“もう一つの現実”に目を向けます。誰かを否定するためではなく、大切なあなた自身の選択の参考にしてほしいからです。
「薬に頼ったけど、自分を失った気がする」|相談事例から苦悩
ある30代の女性は、仕事のストレスと家庭での孤独感から、うつのような症状に悩まされていました。心療内科で処方された抗うつ薬を飲み始めると、最初は「少し楽になった」感覚があったそうです。
けれど、数週間後には次のような思いが出てきました。
「感情が平坦になって、うれしいも悲しいもよくわからなくなってきたんです。
それって、本当に“生きてる”って言えるのかなって…」
また、別の20代の男性はこう語っています。
「薬をやめたいと思ったけど、急にやめたら動悸や不安感がひどくなって。
気づいたら、“やめたいのにやめられない自分”を責めるようになっていました。」
“楽になりたい”という思いで手にしたはずの薬が、いつの間にか新たな自己嫌悪の火種になってしまうこともあるのです。
⚠️ 知っておきたい向精神薬のリスク|逆効果になることも
ここでは、医療批判ではなく、事前に知っておくべき重要な事実をお伝えします。正しい知識が、あなたの心を守る力になるからです。
🧠 初期副作用と“感情の平坦化”
抗うつ薬や抗不安薬を飲み始めた直後に、「自殺念慮(死にたい気持ち)」が強くなることがあります。これは医学的にも報告されている副作用の一つで、注意が必要です。
また、薬によっては喜怒哀楽の波が小さくなり、「何をしても楽しくない」「人との会話に実感がない」といった“感情の平坦化”を引き起こすこともあります。
💊 依存・離脱症状のリスク
特にベンゾジアゼピン系の抗不安薬や睡眠薬は、数週間の使用でも依存につながる可能性があります。自己判断でやめると、リバウンドのように不安や不眠が強まり、 「薬をやめたいのにやめられない」という悪循環に陥る人もいます。
🧍♂️ 長期使用の影響
抗精神病薬や気分安定薬(リチウムなど)を長期間使用すると、体重増加、手足の震え、注意力低下、性格変化などが報告されています。
もちろん、薬が必要な時期もあるし、 「飲んで助かった」という人もたくさんいます。だからこそ、「魔法のように何もかも解決してくれるものではない」と知っておくことが、とても大切なのです。
🌱 本当に大切なのは「自分の感覚に正直になること」
「薬を飲み続けるのがつらい」
「なんとなく、自分じゃない感じがする」
そんな違和感を覚えたら、その感覚を無視しないでください。
薬を飲む・飲まないに正解はありません。けれど、“あなたの声”がいちばんの道しるべです。
もしあなたが今、「このままでいいのかな」と思っているなら、どうか、責めるのではなく、やさしく見つめてあげてください。
自己嫌悪の苦しみは、薬ではなく、自分への信頼や感情との対話によっても、少しずつ和らいでいきます。
次の章では、文学の世界から「自己嫌悪」を読み解いてみましょう。
とくに、日本文学の名作・夏目漱石『こころ』に込められた深い罪悪感と孤独は、現代の私たちにも重なるメッセージを届けてくれます。
5.文学で読み解く自己嫌悪|夏目漱石『こころ』に見る罪と孤独
「人は、なぜこんなにも自分を責めるのか」
――この問いに向き合い続けた作家がいます。明治から大正にかけて活躍した、夏目漱石です。
彼の代表作『こころ』は、時代を超えて読み継がれる名作。その背景には、主人公“先生”の胸を締めつけるような深い自己嫌悪があります。
ここでは『こころ』に登場する有名な言葉や場面をたどりながら、自己嫌悪の本質に迫っていきます。
「私の過去は、ことごとく罪悪です」――先生の独白
物語の後半、“先生”は若き日の友人・Kとの関係、そしてその結末について、ひとり語り始めます。
「私はこれから告白して、私の過去をありのままに話そうと思う。私の過去は、ことごとく罪悪です。」
この一文は、文学史に残るほどの衝撃を持って読者の心に響きます。先生は、親友Kを裏切り、自死に追いやってしまったという深い罪を背負って生きています。
たとえ誰にも知られなくても、“自分が許せない”という感情は、静かに人を追いつめていく。その姿が、『こころ』全体を覆う空気として漂っています。
「Kを裏切った自分」を責め続けた男の末路
先生が抱えていたのは、「Kを裏切ったことへの罪悪感」と、その後も何もできなかった自分への自己嫌悪です。
「私はKに対して、ある意味では敵でした。 それでいながら、私はなおKを愛していました。」
この矛盾が、“先生”という人間の苦悩の根源です。
Kの死後も、先生はその罪を誰にも告げることなく、長い年月をかけて内面で自分を裁き続けました。そして最終的に、“告白”という形で読者(=若者)に遺書を残し、彼自身も命を絶ちます。
この展開は、読者に問いかけます。 「人は、どこまで自分を責め続ければ赦されるのか?」
『こころ』が今も刺さる理由|時代を超える自己否定の痛み
『こころ』は100年以上前に書かれた小説ですが、現代の私たちにもリアルに響くのはなぜでしょうか。
それは、“先生”が抱えていた罪悪感や孤独、そして何より「誰にも言えないまま自分を責め続ける痛み」が、 今も多くの人の心にあるからです。
- 本当は誰かに助けてほしかった
- でも、そんな自分を見せるのが怖かった
- 気づけば、自分自身がいちばんの「敵」になっていた
そうした想いを、漱石は文学という形で丁寧にすくいあげました。
“こころ”を読むことは、 「こんなにも自分を責めてしまうのは、あなただけじゃない」という静かな共感を得ることでもあります。
次の章では、視点をもう少し広げて、スピリチュアルな領域――とくに「聖書」から、自己嫌悪をどう見つめ、どう癒していくかを探っていきます。
時代も文化も超えて語り継がれてきた知恵の中に、きっとあなたの心に響く言葉があるはずです。
6.聖書の視点から見る自己嫌悪|あなたは赦されている
自己嫌悪の深い谷の中にいるとき、「自分は赦されない存在だ」と感じてしまうことがあります。
けれど――そんなときこそ、聖書の言葉が、静かに、けれど確かに語りかけてきます。
「あなたは、愛されている」
「あなたのすべてを知った上で、赦されている」
この章では、聖書に登場する人物やメッセージから、心の傷を癒す“もう一つの視点”を見ていきましょう。
苦悩・自己嫌悪する神の預言者エレミヤ
旧約聖書に登場するエレミヤは、神に召された預言者でした。けれど、彼の生涯は決して華やかではなく、むしろ孤独と嘆きに満ちたものでした。
エレミヤはこう嘆きます。
「わたしの母よ、どうしてわたしを産んだのか。
人に呪われ、争いに満ちた人生だった。」
――エレミヤ書 15:10
神から預かった言葉を王や民衆に伝えても、理解されずに拒絶される日々。正しいことを伝えれば伝えるほど、心が曲がった者たちから迫害を受けて命すらも狙われてしまいます。
神に従ったはずなのに、心は折れ、「生まれてこなければよかった」とさえ思う。それでも神は、そんなエレミヤの嘆きを黙って受け止め、繰り返しこう語ります。
「恐れるな。わたしがあなたとともにいる。」
神は、絶望の底にいる人の声を決して見捨てません。
悪のゆえに自分を嫌悪する――エゼキエルの預言
エゼキエル書には、こんな印象的な一節があります。
「あなたがたが自分の行った悪を思い出し、自分自身の前でその悪のゆえに自分を嫌悪するようになる。」
――エゼキエル書 36:31
ここでは、“自分を嫌悪する”という感情が、これまで行ってきた悪なる行いや心の汚れ(神に対する罪)を悔い改めるきっかけとして語られています。つまり、自己嫌悪のすべてが“病”ではなく、心の深い目覚めであり、神の導きの途中にあることもあるということです。
そのうえで神は続けます。
「わたしは、あなたがたを清める。わたしの霊をあなたがたの中に与える。」
人は自分の力では立ち直れないとき、神の側から“癒し”と“回復”の道を開いてくださるのです。
「自分を裁いてはならない」――裁きは神にゆだねる
新約聖書では、使徒パウロがこう語っています。
「だから、自分について裁くことはしません。最後に裁くのは神なのです。」
――コリントの信徒への手紙一 4:3-4
この言葉には、深い慰めがあります。
自己嫌悪とは、しばしば「自分自身への終わりなき裁き」になっていきます。でも聖書は、人が人を、あるいは自分を裁くことを超えて、最後の裁きと赦しは神が担ってくださると語ります。
あなたが過去に何をしてきたとしても、そこに悔い改めと清めがあれば、神は赦す方であり、やり直しを与える方なのです。
サタン(悪魔)の働きと「統合失調症」の共通点
聖書では、“サタン”という存在が人の心に「偽りの声」を吹き込む者として描かれます。
- 「お前には価値がない」
- 「どうせ誰も助けてくれない」
- 「神もあなたを見捨てた」
こうした声は、統合失調症における“幻聴”にも似ています。
実際、聖書の時代には病とされる前に、「悪霊による影響」とされる現象も多く語られていました。
これは迷信的な話ではなく、人が苦しむとき、そこには目に見えない霊的な作用がある――
という視点があったということです。
聖書はこう語ります。
「悪魔は、ほえたける獅子のように、食い尽くすべき者を探し回っている。」
――ペトロの手紙一 5:8
つまり、あなたの心を責め続ける“その声”は、あなた自身の本心ではない可能性があるということです。
聖霊(天使)の働きによって心が清められる
では、私たちを真に導くのは誰でしょうか?
聖書では、「聖霊」と呼ばれる存在が、神の愛と真理を心に教える“見えない助け手”として語られます。
「聖霊が来ると、あなたがたをすべての真理へと導く。」
――ヨハネによる福音書 16:13
聖霊の働きは、責めることではありません。
むしろ、こう語りかけてきます。
- 「あなたは愛されている」
- 「たとえ失敗しても、大丈夫」
- 「悔いているあなたを、神は見捨てない」
これは、幻想や気休めではなく、内なる霊的な真実に目覚める感覚です。
誰に理解されなくても、たとえ自分を好きになれなくても、あなたを見つめ、抱きしめてくれる存在がいる。
それが、神と聖霊のまなざしです。
次の章では、これまでの内容をまとめつつ、「自己嫌悪とどう向き合えばいいのか?」という問いに、やさしく・現実的な言葉で応えていきます。
7.まとめ|自己嫌悪の正体と癒しへの道
「自分が嫌いでたまらない」
「なぜこんなにも、自分にダメ出しをしてしまうのか」
そんな声を抱える方へ、この記事では――
心理学・文学・スピリチュアルの3つの視点から、自己嫌悪という感情を見つめてきました。
最後に、この旅の中で大切だったポイントを、もう一度だけ振り返りましょう。
✏️この記事の重要ポイント7選
- 自己嫌悪の背景には「誰かとの関係」があることが多い
→ 親との関係、SNSの反応、ささいな失敗が引き金になる。 - 自己嫌悪は「心の認知のゆがみ」が生む“物語”
→ 本当は事実ではなく、思い込みや過去の記憶が影響している。 - 「感情を書き出す」「ツッコミを入れる」だけでも、心は変わり始める
→ 小さな行動が、自分との関係をやさしくほぐしてくれる。 - 向精神薬がすべてを解決してくれるわけではない
→ 副作用や依存のリスク、そして「自分を失ったような感覚」に注意が必要。 - 文学作品も、自己嫌悪の痛みに寄り添ってきた
→ 夏目漱石『こころ』に描かれた「自分を許せない心」は、今も私たちに問いかける。 - 聖書は「悔い改めることで赦される」と語っている
→ 自己嫌悪の奥にある“魂の痛み”に、神のまなざしが注がれている。 - 責めることより、「やさしく寄り添うこと」で心は癒えていく
→ 大切なのは、すぐに変わることではなく、「自分をいたわる」習慣を育てること。
あなたに伝えたい、たったひとつのメッセージ
最後に、この記事を読んでくれたあなたへ。
あなたがもし、「なんで自分はこんなにダメなんだろう」と思っているのなら――
その感情は、あなたがまっすぐに生きようとしている証拠かもしれません。
完璧じゃなくていい。立ち直りが遅くてもいい。涙が出ても、笑えなくても、それでもいい。まっすぐに生きようとすることは、誰かと比べて測るものではなく、その思いがすでに尊く清いものなのです。
あなたの癒しの旅は、すでに始まっています。この記事が、その第一歩になってくれたなら、心からうれしく思います。
続く章では、このブログ記事に連動したオリジナル楽曲『塵芥(ちりあくた)』を紹介します。
自己嫌悪や自分を裁く苦しみを感じたときこそ響く、魂からのメッセージを音楽に込めました。
どうぞ、あなたの心に届きますように。
楽曲『塵芥(ちりあくた)』自分は価値のないもの?
“塵芥”とは、ちりやゴミのこと。
人にとって不要とされる、捨てられたもののことです。
“for dust thou art, and unto dust shalt thou return.”
(汝は塵なれば、塵に帰るべし)
――創世記 3:19
これは、罪を犯してエデンの園から追放されたアダムとエバに対して、神が語った言葉です。
一見すると、
「神にとって人間は価値のない存在なのか」――
そんなふうに受け取ってしまうかもしれません。
しかし、そうではありません。
聖書全体を通して見れば、神は人間を“無価値な塵”としてではなく、“塵のように儚くても、深く愛される存在”として語っています。
そんな気づきから、オリジナル楽曲『塵芥(ちりあくた)』は生まれました。
以下にこの楽曲を設置しています。どうか、イヤフォンなどで静かに聴いてみてください。
どこから、あなたは来たの?
どこへ帰るの? — From dust, To dust,
満天の星のように
埋め尽くす — Just a dust,
まるで、チリアクタだ
目をそむけた — my inside
裁きにおびえた — my life
そこに映る — Just a dust,
何の意味があるのか?
滅びの言葉が — judge me
こんな自分は — I hate me
でも before You love me
天と地のことわり
光と闇を分かつ裁き
どこから、あなたは来たの?
どこへ帰るの? — From dust, To dust,
満天の星のように
埋め尽くす — Just a dust,
その声は天から来た
愛の言葉を — 求む contact us,
流星群のように
地に注がれる — Like a gift,
天秤のうえにのせて
はかられる — inside
不浄なる魂
清めることが — must
裁きは天に
ゆだねる — That’s the best
砕かれた破片
天に舞う — star dust
まるで、ささげ物か?
焼き尽くせ — unclean heart
記述された — unclean code
沈黙する — unclean word
あなたはなぜ裁くのか?
灰の中で聞いた — trust
From dust でも beloved
だから天にゆだねよ
星屑にも名を与え
いつまでも呼びかけている
どこから、あなたは来たの?
どこへ帰るの? — From dust, To dust,
満天の星のように
埋め尽くす — Just a dust,
過去は消せないのか?
でも、その声が — stay with me
こんな自分を — you love me
その光で支える — be
わたしは愛から生まれた
だから、光にかえろう
Just a dust
shining light
次は、この記事のラストを飾るストーリー
『天国のゴミ波動収集車』~見よ、塵芥のようだ編~ をお届けします。
リラックスしてお楽しみいただければ幸いです。
ストーリー『天国のゴミ波動収集車』~見よ、塵芥のようだ編~
場所:大学構内
登場人物:
光(哲学から派生して聖書を読んでいる)
未來(歌で光の波動を広げる元アイドル)
千沙(中学の時、合唱部で仲間外れにされた)
天使K(別ミッションで忙しい天使)
美闇(4人と敵対する堕天使からの刺客)
【シーン1:キャンパス清掃ボランティア】
千沙(心の声):「はぁ……どうして私、断れなかったんだろ……清掃ボラなんて…」
(中庭の花壇付近。数人の学生が火ばさみでゴミを拾っている)
未來(教室から窓の外を見て):「あれ、千沙ちゃんじゃん?ゴミ拾いのボランティアしてる人」
光:「ほんとだ……千沙だね。」
(そのとき、後ろから誰かの肘が当たり、バランスを崩す千沙)
千沙:「わっ……!」
(ドサッ!泥の上に転倒。袖と膝が泥だらけに。周囲が一瞬ざわつく)
未來&光:「あっ!」
(千沙、立ち上がり、泥を払おうとするが、膝から血がにじむ)
千沙(心の声):「……最悪。ほんと、なんでいつもこうなるの……」
肘を当てた学生(ヒソヒソ声):「ダサ…もしかして目立って、注目を浴びたかったんじゃね?」
(千沙の周囲に黒っぽいもやが集まり、波動体に闇がまとわりつく)
千沙(心の声):「この前も……結局、美闇を助けられなかった。私はいつも役に立てない。何のためにここにいるんだろう……私なんて、いない方が……」
───そのころ、どこかの天界出張所にて。
(ピピピピピピピピッという電子音)
天使K:「……ん? 波動緊急アラート? ……千沙!?闇度80%超えてる?まずいな……でも、あと2時間は動けない!」
【シーン2:光が書いた歌詞】
(ベンチに座る千沙。手には泥のついたハンカチ、膝に絆創膏)
光:「……声をかけたほうがいいかな」
未來:「うん。でも、無理に明るく話しかけたら逆効果かも。あの波動、深い自己嫌悪が混じってる感じ」
(2人が千沙に近づいていく)
未來:「千沙ちゃん、大丈夫?」
千沙(かすかに微笑むが、目は笑っていない):「うん、大丈夫。ちょっと、転んだだけ……泥まみれになっただけ……」
(少し離れたカフェテリア席で、美闇とその元取り巻き女子たちが笑っている)
取り巻きA(わざと大きな声で):「転んで泥まみれってウケるよね〜。あれ、わざと目立とうとしてるのかな?」
取り巻きB:「いや、あれは“陰キャの闇波動芸”だよ〜」
千沙(ぎゅっと拳を握る):「……やっぱり、私なんか……いないほうが……」
(光が話題を変えようと、ノートを取り出す)
光:「……千沙、これ。見せるの迷ってたんだけど……実は俺、最近歌詞みたいなの書いてて」
未來:「歌詞!?」
千沙(ぼんやり見ながら):「……塵芥(ちりあくた)ってなに?」
光:「“塵”と“芥(あくた)”って、どっちもチリやゴミとかくだらないものって意味なんだ」
千沙(少し間をおいて):「ゴミか…わたしもそうかも」
(千沙、ノートをそっと受け取って歌詞を読む)
🎵どこから、あなたは来たの?
どこへ帰るの? — From dust, To dust,
満天の星のように 埋め尽くす — Just a dust,
千沙(読みながら):「Just a dust……ただのチリか……」
未來:「へぇ~さすが光くん。哲学的だね!」
光(照れながら):「いやこれは、実は哲学ネタじゃなくて。最近読んでた聖書の「創世記」に影響されて書いたんだ」
未來:「へぇ~聖書に、そんなこと書かれてるんだ」
光:「そのままじゃないけど、参考にしてみた」
千沙:「……でも……これ、なんか、わかる気がする。自分の中の汚いものとか、見たくないところって、誰にでもあるのかなって……」
(───さわやかな風が吹いて木の葉が舞う)
【シーン3:ゴミ収集業者】
(空き教室にいる3人)
光:「今日はKさん来れないのかな?」
(ブォォォオオオンという巨大なモーター音とともに、天国の光を背にした、異形の巨大ゴミ収集車が現れる)
未來&千沙(驚いて):「なになに?」
(車の側面には金文字で《HEAVENLY SANITATION SERVICE》のロゴ。スピーカーからは安っぽいメロディが流れている)
(シュタッ! 運転席から颯爽と降りてきた天使K)
天使K:「お待たせ!」
未來:「Kさん!なんでゴミ収集車なの?」
天使K:「今日は担当者が休んだので、助っ人に行ってたんだ」
(車の後部がガコンと開き——神々しく輝く家庭用サイズの掃除機)
千沙:「そうじき?」
天使K(掃除機を手にして近づきながら):「この掃除機、天界の最先端技術でな。どんな頑固な闇波動も、バキュームしてくれる優れもの!」
(千沙にまとわりついていた闇波動が吸われていく)
千沙:「なに?なんか急に闇がきえた?」
(天使Kはビシィィィィィッ!と千沙に指をさす)
天使K(やや厳しく):「千沙。自分を憎み、自分のことを裁いたね?」
千沙(うつむきながら):「……だって、私、ほんとに役に立たないし……」
天使K:「自分で自分を裁いてはならない。天にゆだねよ」
千沙(うなずく):「ごめんなさい」
天使K(ほほえむ):「……みんな知っといてくれ。闇波動は心のゴミだから、常に浄化しないといけないんだ」
【シーン4:数日後・歌ってみて】
(数日後。キャンパスの屋上にいる3人)
未來(ワクワクしながら):「じゃーん!光くんの歌詞にメロディをつけてみました!」
光(驚いて):「え!まじか……」
未來(ニヤッと):「これ、千沙ちゃんに歌ってもらいたいの」
千沙(顔を上げ):「え?わたしが?」
未來:「うん。でね、実は……ラップ部分があるんだけど、そこ、光くんが歌うの」
光(フリーズ):「え、ちょ……おれ?」
千沙(くすくす笑って):「……でも、光の声って落ち着いてて、ラップ似合いそう」
(スマホから音源を流す)
🎵流星群のように 地に注がれる — Like a gift,
千沙:「……なんか可愛くて好きかも……」
🎵砕かれた破片 天に舞う — star dust
未來:「みんなの心が浄化されるように祈って作ったよ」
🎵星屑にも名を与え いつまでも呼びかけている
光:「すごいな……ありがとう」
(千沙の目から、ふと涙がこぼれる)
未來:「千沙ちゃん、音源データ送るから練習してみて」
───そのころ、天界にて。
天使K:「……よし、闇度10%。自己嫌悪はあと少しで消滅する見込み」
(掃除機の画面にメッセージ)
《回収完了:自己嫌悪20g・憎しみ20g・罪悪感10g・無価値感10g》
天使K(満足げにうなずきながら):「光と未來、グッジョブだな…」
───そして画面下には謎の字幕が
《提供:HEAVENLY SANITATION SERVICE》
《あなたの波動、今日もキレイに》
──完──