「自傷をやめたい」「なぜこんなことをしてしまうのか知りたい」——
そんな思いでこのページを開いたあなたは、もうすでに第一歩を踏み出しています。
リストカット、爪を立てる、壁に頭を打ちつける……
やめたいのにやめられない衝動。そのあとにやってくる罪悪感。
苦しくて検索した夜が、どれほど孤独だったか、私は知っています。
この記事では、「自分を傷つけたくなるとき、心の中で何が起きているのか」から始まり、心理学・古典文学・スピリチュアルの視点を通して、“やめたいけどやめられない理由”と“変わりたいという希望”を見つけていきます。
「もうこんなことやめたい」と願うあなたが、
痛みの奥にある“ほんとうの自分の声”に出会えるように
KEI
Contents
1. 自分を傷つけたくなるとき、心の中で何が起きているのか
「気づいたら手が動いていた」— 衝動に飲まれる瞬間
ある日ふと、手元にハサミやカッターがあることに気づいたとき、
「気づいたら手が動いていた」と感じたことはありませんか?
それは意志の力ではなく、もっと根深い心の叫びによって起こる“衝動”です。
この衝動は、自分を壊したいというよりも、「感じすぎる心に耐えられない」という悲鳴から来ることが多いのです。
怒り、寂しさ、絶望、不安、無力感……それらの感情が一気に押し寄せると、身体が“非常ベル”のように反応してしまうのです。
だからこそ、あなたが弱いわけじゃない。
それだけ、心ががんばってきた証拠なんです。
やめたいのにやめられない理由
自傷は、習慣のように繰り返されてしまうことがあります。
「やめたいのにやめられない」——それは意志の問題ではありません。
自傷行為には、一時的に苦しみを和らげたり、感情を外に出したり、現実感を取り戻す働きがあると言われています。
脳内では、エンドルフィンという物質が放出されて、痛みを和らげたり、ストレスを緩和する効果が起こることもあります。
だから、やめられないのはある意味当然ともいえるのです。
ただ、それは根本的な解決にはならないし、あとで罪悪感や後悔としてのしかかってくる。そのことに、あなた自身もちゃんと気づいているからこそ、こうして調べているのだと思います。
それでも、あなたの中には「変わりたい気持ち」がある
自傷をしたあと、心の奥でどこか「こんなこと、本当はしたくなかった」と感じる瞬間があるかもしれません。
痛みの中にある、「それでも変わりたい」という小さな願い。その声はとてもかすかで、自分でも信じられないかもしれません。けれど、それこそがあなたの中にある「光」であり、「希望」なのです。
この記事は、その光を見失わないように、一緒に歩くためのものです。
次の章では、自傷の奥にある心理に、そっと光を当てていきます。
2. 自傷の心理とは?—心の痛みと向き合うために
自傷は「感情の調節手段」として現れる
「泣くことすらできない」
「何も感じなくなってきた」
——そんなとき、無意識のうちに自傷という行動が現れることがあります。
心理学では、自傷行為はしばしば「感情調整の手段」と説明されます。
どうしようもない怒り、孤独、悲しみを、外に出す方法がわからないとき、あるいは感情が麻痺して「自分がここにいる」感覚を取り戻したいとき、身体の痛みが、内側の痛みに“代わって”何かを訴えてくれる。
それは決して健やかな手段ではないけれど、今まであなたが生き延びるために使ってきた、大切な“応急処置”だったのです。
自己罰としての自傷:「私なんて」という思考の奥にあるもの
「私なんて、いらない」
「こんな自分には価値がない」
そう思って自分を罰したくなる気持ちが、なぜか湧いてきてしまうことがあります。
なぜそのような気持ちが湧いてくるのか、その原因はわからないことも多く、わからないため解決することも難しいのです。
なぜかわからないけど、自分に価値があるとは思えず、自分で自分を傷つけてしまう——その原因がきちんと理解され、取り除かれることが、本当の癒しの始まりです。
「無感覚」と「解離」:自分が自分じゃないときに
自傷の前後に、「自分がここにいない感じ」がしたことはありませんか?
音が遠くなったり、感覚がなくなったり、自分を“外から見ている”ような感覚。
これは「解離」と呼ばれる心の働きで、強いストレスやトラウマが引き金となり、意識が現実から切り離される現象です。
この無感覚の中では、痛みさえも「自分ごとではない」ように感じることがあります。
だからこそ、自傷という行為が、「感じること」や「存在していること」を確かめる唯一の方法になることもあるのです。
でも忘れないでください。あなたが感じなくなってしまったのは、心が壊れたからではありません「これ以上感じたら壊れてしまう」と判断して、心があなたを守ろうとした結果なのです。
3. 文学の中の自傷:言葉にならない痛みの表現
自傷とは、「痛みを言葉にできないときの、もう一つの叫び」かもしれません。
古今東西、多くの文学者たちは、自傷そのものを描かずとも、心の奥深くにある “壊れそうな自我” や “どうしようもなさ” を作品に刻み込んできました。
ここでは、文学作品の中に描かれた“痛みのかたち”をたどりながら、「あなたの感じていることは、決して特別でも異常でもない」ということを照らしていきます。
ドストエフスキーと“罪悪感からの自壊”
『罪と罰』の主人公・ラスコーリニコフは、
自らの正義の名のもとに罪を犯し、その罪悪感に押しつぶされそうになります。
やがて彼は、誰にも助けを求められず、罪悪感を抱えたまま孤独に沈んでいきます。
彼の苦しみは、まるで心の中で「自分を罰し続ける」ようなあり方です。
それは私たちが、自傷という行動で心の中の罰を身体に転写する構造と、どこか似ています。
彼が最後にたどりついたのは、「他者とのつながり」と「赦し」でした。
それは、罪の否定ではなく、罪を知った人がもう一度生きていく力でした。
太宰治と「どうしようもなさ」の美学
太宰治は、自身の苦しみや生きづらさを作品に赤裸々に刻んだ作家です。
『人間失格』の主人公・葉蔵は、
「誰にも本当の自分を見せられない」
「何かが欠けている自分は、愛される価値がない」と感じながら、破滅へと向かいます。
太宰の作品には、自傷や自死の描写は少なくないですが、それらは“死への誘惑”というより、「生きていたかったけれど、生きられなかった人の記録」として読むことができます。
ヴァージニア・ウルフと「感じすぎる人の絶望」
ヴァージニア・ウルフは、繊細な感受性と、深い内省を持つ作家でした。
『灯台へ』では、他者とのすれ違い、自己の崩壊、言葉にならない感情が、静かに、しかし痛々しいほどに描かれています。
ウルフ自身も精神疾患とともに生き、「日常のなかで、普通に振る舞うことがどれだけ苦しいか」を知っていました。彼女の作品には、言葉にできない感覚への“詩的なまなざし”があり、それは「どうしてつらいのかわからない」人々にとって、大きな慰めとなりえます。
ウルフの描く世界では、苦しみが「弱さ」ではなく、存在の深さとして立ち現れます。
次の章では、さらにもう一歩進んで、「スピリチュアル(霊的)な視点」から、自傷の奥にある魂の叫びを見つめていきましょう。
4. 聖書とスピリチュアルの視点:「自傷」の奥にある叫び
自傷に向かう心の奥には、「誰か気づいて」「もう限界だ」という、叫んでも届かないような痛みがあります。
人の目には届かなくても、神はその痛みにまっすぐ向き合い、沈黙の奥の声を聴いてくださる——それが、聖書から見えてくる“神のまなざし”です。
ここでは、自傷や深い絶望に陥った聖書の登場人物たちと、そこに注がれたスピリチュアルなまなざしを見ていきます。
ゲラサの男(マルコ5章):石で自分を傷つけていた人
マルコによる福音書5章に登場する「ゲラサの男」は、墓場に住み、昼も夜も叫びながら、石で自分を傷つけていた人物として描かれています(マルコ5:5)。
その苦しみの根本的な原因は、「レギオン(軍団)」という多くの悪霊に取り憑かれていたことでした。彼は自分の意思で暴れていたのではなく、外的な霊的影響によって、自傷や異常行動を繰り返していたのです。
イエス・キリストは彼に近づき、悪霊に対して「この人から出て行け」と命じます。
イエスは彼の中から悪霊を追い出し、その結果、
この男は正気を取り戻し、服を着て、穏やかにイエスのそばに座っていたと記されています(マルコ5:15)。
これは、心の問題だけでは説明できないような苦しみや衝動の背後に、霊的な次元の影響がある可能性を示す非常に象徴的なエピソードです。
自分の力ではどうにもできないような衝動や破壊的な行動に苦しんでいるとき、その背後には自分の内面だけでなく、外からの“働きかけ”があるかもしれない——
神が見ている「あなたの心の叫び」
自傷の衝動、やめられない痛み。
それはしばしば、「誰にもわかってもらえない」「気づいてほしい」「助けて」という、言葉にならない心の叫びから来ていることがあります。
聖書の神は、「人の心を見る方」だと繰り返し語られています。人が見落とす心の叫びを、神は見逃しません。
詩篇にはこんな言葉があります。
「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる」(詩篇34:18)
「神よ、私の叫びを聞いてください。私の心が弱り果てたとき、私を高い岩に導いてください」(詩篇61:2)
神は、私たちの中に隠された傷や涙、絶望の影を知っておられます。そして、それを「恥」としてではなく、「愛する者の痛み」として見ておられます。
この視点は、自分を責めたり、「弱い自分」を否定し続ける人にとって、全く異なるまなざしを与えてくれるものです。
悪魔(サタン)と天使(聖霊)のささやき──それぞれの目的
自傷の衝動や、激しい自己否定の思いに襲われるとき。
それは、ただの「心の弱さ」ではなく、内なる戦いが起きている瞬間かもしれません。聖書は、この見えない領域において、「悪魔(サタン)」と「聖霊」それぞれが働きかける存在であることを語っています。
サタンのささやき:傷つけ、孤立させ、命を奪う目的
聖書の中でサタンは、「訴える者」「惑わす者」「偽りの父」などと呼ばれています(ヨハネ8:44、黙示録12:10)。その目的は、人の心を嘘で満たし、神とのつながりを断つことです。
自傷にまつわる思考の中には、次のような“ささやき”が忍び込んでいることがあります:
「どうせお前なんて、誰からも必要とされていない」
「苦しいなら、傷つければ少しはマシになる」
「生きていても意味がない」
これらは一見、自分の内側から湧いてきた声のように思えますが、実際にはサタンが巧妙に吹き込む「偽り」であることが多いのです。自傷という行為は、「命」に対する破壊的な働きです。サタンが好んで仕掛けるのは、まさにこの「破壊」と「絶望」なのです。
天使(聖霊)のささやき:癒し、回復し、真理へと導く目的
一方、聖霊は「真理の霊」「助け主」「慰め主」と呼ばれます(ヨハネ14:16–17)。その目的は、人の心を偽りから解放し、本来の「いのち」と「愛」に導くことです。
天使(聖霊)のささやきは、サタンの声とは対照的に、とても静かで優しいものです:
「あなたの痛みに私は気づいている」
「あなたはひとりじゃない」
「あなたの命には、意味がある」
この声は、うるさいノイズのような自己否定や怒りの声の中では聞こえづらいかもしれません。けれど、心がふと静まったときに、深いところで共鳴するように届くのです。
聖霊の働きは、「自分を傷つけたい」という衝動を、「自分を大切にしたい」という願いへと変えていくことです。それは、強制でも命令でもなく、「あなたの心を回復させたい」という愛の意志に基づいています。
この声に気づくことができたとき、自分を傷つける理由は、少しずつ消えていきます。どんな暗闇の中でも、聖霊はあなたの内に、確かに光を灯そうとしているのです。
5. やめたいあなたへ:「その気持ち」が光につながっている
「やめたいけど、やめられない」
「もうこんなことしたくないのに、気づけばまた……」
——そんな風に、自分を責めてしまう夜が、あなたにもあったかもしれません。
でも、この記事を読んでくれているあなたは、もうすでに“自分を大切にしたい”という小さな光を、心の中に持っています。
この章では、その光をどう守り、育てていけるかを一緒に見ていきましょう。
「やめたい」と思ったあなたの強さ
まず何よりも大切にしてほしいのは、「やめたい」と思ったその気持ちです。
自傷は、自分の命を傷つける行為。それを「もうやめたい」と思えること自体が、本来の自分に戻ろうとする“強さ”のあらわれなのです。
たとえば、暗いトンネルの中で「出口に行きたい」と思えること。
それはすでに、光の方向を知っているということです。
あなたの中には、「癒されたい」「つながりたい」「愛されたい」と願う生きる力があります。その小さな声に気づいたあなたは、もう「無力な自分」ではありません。
回復は“きれいな道”じゃなくていい
よく「回復」という言葉に、なにか理想的なイメージを重ねてしまうことがあります。
たとえば、
- 二度と自傷しないようになること
- 自分を完璧に受け入れられること
- 前向きでいられる自分になること
でも、実際の回復はそんなに“きれい”なものではありません。むしろ、何度も揺れて、立ち止まって、また戻ってきて……その繰り返しの中で、少しずつ変わっていくものです。
「やめたいと思ったのに、またやってしまった……」
そのときに自分を責めるのではなく、「また立ち上がった自分」を見つけてください。
聖書の中でも、預言者エリヤやペテロのように、何度も倒れたり逃げたり間違えたりしながら、それでも神に導かれていった人たちがいます。あなたの歩みもまた、そのように“不完全でも愛される道”なのです。
あなたの物語は、まだ続いている
ここまで読んできたあなたは、すでに「痛み」と真剣に向き合い始めています。そして、それは簡単なことではありません。だからこそ、あなたの物語は価値があるのです。
あなたがこの先、どんなふうに生きていくのか、誰にもまだわかりません。でも一つだけ、確かなことがあります。「変わりたいと思ったこと」それが、未来のあなたの人生に、確実に光を灯します。
もしかすると、まだ苦しい日が続くかもしれません。でも、あなたが「変わりたい」と願った日のことを、神は決して忘れていません。それは、あなたの魂が叫んだ「いのちへの祈り」だったのです。
6. まとめ:この記事の重要ポイント7選
ここまで、自傷という行為の奥にある心の叫びや、それをどう受けとめ、癒しへ向かっていけるかを見てきました。
KEI
- 自傷の衝動は「心が限界」と訴えるSOS
「自傷したくなる」その衝動は、あなたの中の“弱さ”ではなく、“限界を超えてしまった心”からのサインです。 - 「やめたい」と思う気持ちは、回復の光
やめたいと思えることは、すでにあなたの中に“生きたい”という願いがある証拠。 その小さな光を、大切にしてください。 - 自傷には「感情の調節」「自己罰」「無感覚の打破」など、深い背景がある
自傷は単なる“悪い癖”ではなく、心の痛みをどうにかしようとする手段です。その“奥にある感情”と向き合う必要があります。 - 文学には「言葉にならない痛み」を描いた先人たちがいる
ドストエフスキー、太宰治、ヴァージニア・ウルフ……彼らも「自分を傷つけたくなるような痛み」と向き合ってきた人たちでした。 - 聖書には「痛みに引き裂かれた心」に向けられた神のまなざしがある
ゲラサの男、エリヤ…… 自傷や死を願った人々に、神は「なぜそんなことを」とは言わず、救いや癒しを与えました。 あなたの苦しみも、神は見ておられます。 - 闇は「自己憐憫」から入り込み、光は「愛されている」という真実を語る
悪魔は「どうせ誰も助けてくれない」「お前はひとりだ」とささやきます。 一方、聖霊は「あなたは愛されている」「あなたの存在には意味がある」と語ります。 どちらの声を選ぶかが、心の方向を決めていきます。 - 回復は完璧な道じゃない。それでも物語は続いていく
また自傷してしまうことがあっても、立ち直るたびにあなたは前に進んでいます。
どうか、あなたがあなた自身の心と身体を、もっと大切にできますように。
最後に、この記事に合わせて制作したオリジナル楽曲と、ショートストーリーを紹介します。ご自身の心と向き合いながらリラックスしてお楽しみください。
楽曲『🧸 心のそばに – close to you -』痛みに寄り添う静かな祈り
誰にも言えない痛みを抱えているあなたへ。この楽曲は「それでも誰かに寄り添ってほしい」と願う気持ちを込めてつくりました。どうか、聴いてみてください。
🧸 心のそばに – close to you –
こわれた心のピース
言えなかった痛み
いつしかそれは つるぎに変わり
誰かじゃなく 私を傷つけた
怒りのたてと 嘘のよろい
でも 守ったものは
なにもなかった
いつも たたかっていた
傷を負った 砕かれたこころで
願いを縛る 見えない鎖で
囚われたように
生きるわたし
こわれた心のピースを
見せないように守っていた
怯えるように突きつけた
握りしめたつるぎ
こわれた心のピースに
誰かの言葉が 胸を打った
この痛みは 無駄じゃない
本当かな? そう思いたい
“Heart in pieces”
瓦礫のように砕かれた ピースを集めても
“brokenhearted” うまくはまらない
欠けたままで埋まらない
怒りのたてと 嘘のよろい
でも ほんとうのわたしは
囚われたまま
いつも 守っていた
弱さの中の ほんとうの願い
もう悲しみから目を背けない
砕かれた心に ─ “close to you”
この声を聞いてほしい
ストーリー『砕かれた心のそばに』~痛みを抱えて俺の歌を聴け編~
場所:大学構内・カラオケボックス
登場人物:
光(思考の迷路に迷い込む哲学男子)
未來(承認欲求を隠さなくなった元アイドル)
千沙(中学時代に合唱部内でのトラブルを経験)
天使K(普通の人には見えない天界人)
【シーン1:人間失格で闇落ち】
(大学の中庭。千沙が『人間失格(マンガ)』を読みながら、小声で呟く。)
千沙(闇70%):「……これ、共感しかない。私も、人間失格かも」
(暗いオーラを漂わせ、マンガを閉じる。)
光:「それ、『人間失格』?」
千沙(うなずきながら):「太宰って、笑えないくらいわかるんだよね……」
光:「俺もあの本を読んで、サルトルの実存主義と通じるものを感じたよ。自分の存在自体が重荷って感じが…」
千沙(聞いていない):「はぁ……スイーツでも行こうかな」
(その暗い空気を見ていた未來が割り込む)
未來:「空気重すぎ!たまにはカラオケでもいかない?」
光(カラオケ苦手):「えっ…?」
未來:「早く行こ!気分転換、大事!」
(三人でそそくさ立ち上がる)
【シーン2:学校帰りにカラオケへ】
(カラオケボックス。未來がマイクを手に静かに歌い出す)
🎵 こわれた心のピースを
見せないように守っていた…
(千沙が涙ぐむ)
千沙:「…これ、昔めっちゃ聴いてた」
光:「はじめて聴いたときラーメン屋のテレビに釘付けになった」
未來:「この曲が売れた時は嬉しかった。でももっと認められなきゃって演じ続けて…自分がわからなくなっちゃった」
光:「……未來、よく頑張ったんだな」
千沙(涙目で):「…もう一回、歌って」
🎵 砕かれた心に ─ “close to you”
この声を聞いてほしい…
【シーン3:天使Kカラオケ参戦】
(なぜか昭和風スポットライトが降り注ぐ中、天使K降臨)
天使K(ビシィィィッと指さして):「お待たせ!光の波動を届けに来ました~!!」
光:「え、ここに?」
千沙(涙をぬぐって):「呼んでないけど?」
(カラオケで曲を割り込み操作)
天使K:「では、天界の賛美歌をどうぞ!」
光(心の声):「あれ?次おれの曲だったのに割り込まれてる……」
↑意を決して入れた
🎵 Hallelujah〜♪(ハレルヤ)
(賛美歌を聴こうと天使たちが集まってきて、神々しく合唱)
(光と千沙は目を丸くし、未來は感動の表情)
未來(小声):「癒される…」
光:「天使の歌唱、チートじゃん…」
千沙(闇0%):「素敵……」
【シーン4:お会計】
(4名は会計カウンターへ)
店員:「4名様でしたよね?」
光:「え?3人ですけど(天使Kは普通の人には見えない)」
店員:「ちょっと確認してきます」
(防犯カメラの映像には、Kや他の天使を含めて10名の様子が映る)
店員:「10名様ですね。20,000円です」
光&未來&千沙:「20,000円?高っ!」
光(あわてて):「いや、これはその……」
(光&未來&千沙はふりかえってKを見る)
(天使Kは困り顔でスゥゥ…と天へ帰還)
光&未來&千沙:「あいつ、逃げやがった!」
──完──