「7月5日に大災害が起きる」「人類が終わる」──そんな噂がSNSや動画サイトを通じて広まり、多くの人が不安に包まれています。
けれども、こうした“破局の予言”に心を支配される背景には、私たちの深層心理や、古くから繰り返されてきた霊的な構造があるのです。
この記事では、実際に不安を抱える人々の声からはじまり、心理学・文学・聖書の視点を交えて、終末思想の正体とそこに潜む“サタンの欺き”を徹底解説。
不安に心を奪われないための洞察と、本当に信頼すべき「終わりの時」の姿を、あなたにお届けします。
Contents
1.「7月5日の大災害が来る?」噂に怯える人たちのリアルな声
SNSや動画で広がる“終末予言”におびえる声
2025年7月5日に大災害が起きるという噂が、SNSや動画投稿サイトを通じて急速に拡散しています。
発端は、かつて『私が見た未来』という漫画で2011年の東日本大震災を“予言した”とされる作家・たつき諒氏が、7月5日に再び大地震が起きる夢を見たという記述。その内容がSNSで切り取られ、「今度こそ本当に起こるかもしれない」と注目され始めたのです。
Twitter(X)やTikTokには、次のような投稿が見られます。
「なんか7月5日に大地震が来るって本当? 怖すぎて夜眠れない…」
「夢で見たって…でも震災も当ててたらしいし、念のため水と備蓄買った」
中には、「空が変な色をしていた」「鳥の様子がいつもと違う」など、自然現象と結びつけて“前兆”を語る声も散見され、漠然とした不安が静かに広がっています。
「怖くて旅行をやめた」——実際の声と社会的影響
こうした終末の噂は、単なるネット上の戯言にとどまらず、現実の行動に影響を及ぼし始めています。
たとえば、観光業界では予約キャンセルが相次ぎ、台湾や香港からのツアー利用者が激減しているという報道も。日本政府観光局や旅行会社も、異例の動きに戸惑いを見せています。
ある旅行者の声:
「日本で地震が起こるって聞いて、楽しみにしていた旅行をキャンセルしました。念のため安全第一で…」(20代・台湾)
日本国内でも、「家族を連れての遠出はやめた」「会社の避難訓練をこの日に合わせて実施した」というように、個人・組織単位で“備え”が進んでいる例もあります。
たしかに防災の意識を高めることは重要ですが、その根底にあるのが“恐れ”であれば、心の疲弊につながるリスクもあります。
過去の“終末予言”でのリアルな声
実は、こうした“終末予言”が注目を集めるのは今回が初めてではありません。
たとえば1999年には「ノストラダムスの大予言」により、世界中で「人類が滅亡する」と信じられていて、実際に精神的に追い込まれた人も少なくありませんでした。
さらに、2012年には「マヤ暦が終わる=世界が終わる」との噂が再燃。アメリカではその年に向けた“終末シェルター”が人気となり、日本でも書籍や映画が話題になりました。
これらに共通するのは、「予言が的中するかどうか」以上に、“噂によって人の心が支配され、日常生活に影響を与える”という点です。
そして今回もまた、その構図が繰り返されているのかもしれません。
次のセクションでは、「なぜ私たちはこのような予言に不安を抱いてしまうのか?」を、心理学的な視点から掘り下げていきます。
2.「予言」が人を不安にさせる心理学的メカニズム
なぜ人は“ありえそうな予言”に心を支配されるのか
「どうせ当たらないでしょ」と頭ではわかっていても、なぜか胸の奥がザワザワする——。
そんな経験をしたことはないでしょうか?
それは、予言が単なる“言葉”や“情報”ではなく、心に影響を与えるストーリーとして作用するからです。
心理学者ポール・スロヴィックの研究によれば、人間の意思決定は「論理」よりも「感情」に大きく左右されると言われています。
特に、“不吉な未来”や“予言”のように確率は低いが重大な影響をもたらす出来事に対しては、過敏に反応しやすくなる傾向があります。
さらに予言が「過去に当たったことがある人の話」であったり、「実際に起きそうな自然災害と絡められている」といった条件が重なると、脳は“論理的な評価”をスキップして、感情的な信憑性”に傾いてしまうのです。
その結果、「まさかとは思うけど……」という思考が心を支配し、不安や行動変容を生んでしまうのです。
終末思想と「不確実性」と「安心への欲求」
現代社会では、先が見えないこと自体が強いストレスになります。
心理学ではこれを「不確実性の不快さ(intolerance of uncertainty)」と呼びます。
終末予言は、ある意味で「明確な未来のシナリオ」を提供します。たとえそれが破滅的であっても、
「その日が来るとわかっていれば備えられる」
「“何が起きるか分からない”より、いっそ全部壊れてくれたほうが楽だ」
と感じてしまう人もいます。
また、予言が「特定の日付」や「象徴的な出来事」と結びつけられることで、人は“偶然”ではなく“意味ある未来”として受け取ろうとします。これは「意味づけ欲求(meaning-making)」と呼ばれる心の働きであり、不安定な世界の中に“秩序”を見出そうとする防衛反応でもあります。
しかしその秩序が、恐れに基づくものであるならば、それはむしろ私たちを支配する“もうひとつの混乱”になってしまうのです。
想像上の恐怖が、現実以上に人を動かす仕組み
心理学者ダニエル・カーネマンは、著書『ファスト&スロー』の中で、人は実際に起きる確率よりも「想像のインパクト」によって行動を決めてしまうと指摘しています。
例えば、
- 過去に予言が外れた事実を見ても、「今度は違うかもしれない」と思ってしまう
- 正確な地震統計よりも、感情をあおるSNS動画の方が心に残る
というように、“想像上の恐怖”が、現実の安全判断を上書きしてしまうのです。
つまり、「破局が起こるかどうか」よりも、「破局の映像を頭に思い描いてしまったこと」が、人の心に最も強く作用します。
私たちは、まだ起きてもいない未来に怯えて、その不安に行動を支配されてしまうことがあるのです。
このメカニズムが、“予言”が心の奥に忍び込んでくる理由の一つだと考えられるのです。
では、この不安の根本にある「終末への魅力」とは何なのでしょうか?
次の章では、私たちが“人類の終わり”に惹かれてしまう深層心理に迫っていきます。
3.終末に惹かれる理由──その裏にある心の欲求とは
現代の孤独・閉塞感と“破局願望”
なぜ人は、「世界の終わり」という物語にこれほどまでに惹かれるのでしょうか。
それは単なる恐怖ではなく、“今あるものを一度壊してしまいたい”という心の奥底にある願望=破局願望が関係していると考えられます。
現代社会には、多くの人が口には出せない孤独や閉塞感を抱えています。
誰にも理解されないまま毎日が過ぎていくこと、目の前の苦しみや不条理に終わりが見えないこと、自分だけが取り残されたように感じること……。
そんな時にふと頭をよぎるのが、「どうせなら全部壊れてしまえばいい」という思い。
それは暴力的な衝動というより、“この痛みに終止符が打たれてほしい”という切実な叫びなのです。
終末の噂や破局の予言に惹かれるとき、私たちは実は、現実そのものではなく「現実からの解放」を欲しているのかもしれません。
「全部終わってほしい」という衝動の裏にあるもの
心理学ではこの感情を、「破壊的欲求」ではなく、「再生のための破局願望」として捉えることがあります。
つまり、壊したいのは「世界」ではなく、「苦しみ続けている今の自分の状態」なのです。
実際、「破局」に魅せられる人の多くは、
- 「このまま何も変わらないのが一番怖い」
- 「大きな変化がない限り、自分は変われない」
と無意識のうちに感じています。
このような感情は、神話や古典文学における“洪水”“火の審判”“黄泉の国”といった象徴と共鳴し、人間の内面に潜む「死と再生」の願いを物語として浮かび上がらせます。
破局に惹かれること自体が悪いのではありません。
問題は、それを恐れと絶望による破滅の物語にするのか、それとも再生への扉として向き合うのかにあります。
破局をテーマにした物語の代表作
実際、古今東西の文学や映画には「世界の終わり」を描いた作品が数多く存在します。
そこには、人類共通の感情とも言える“破局と再生”の構造が織り込まれています。
たとえば:
- 『ノアの箱舟』(旧約聖書)
──堕落した世界が洪水で一掃され、新しい契約が始まる物語 - 『黙示録』(新約聖書)
──大患難と裁きののち、神の国が回復されるという終末のヴィジョン - 『終末のフール』(伊坂幸太郎)
──彗星衝突を前に、残された日々をどう生きるかを問う連作短編集 - 『風の谷のナウシカ』(宮崎駿)
──文明崩壊後の世界で、「腐海」と呼ばれる毒に満ちた環境の中での再生の物語
これらの作品は、単なる“滅び”を描いているのではなく、“何かが終わるとき、何が本当に残るのか”を私たちに問いかけています。
現代の終末ブームや破局の噂もまた、私たち自身の生き方や価値観を見つめ直すための「隠れた問い」なのかもしれません。
次の章では、この“霊的な破局”というテーマをさらに深く掘り下げるため、古典文学『失楽園(Paradise Lost)』を手がかりに、「最初の破局」ともいえる出来事に迫っていきます。
4.古典文学『Paradise Lost(失楽園)』に見る霊的終末の原型
『失楽園』に描かれた人類の霊的な破局(堕落)
17世紀、イギリスの詩人ジョン・ミルトンが著した叙事詩『Paradise Lost(失楽園)』は、聖書の「創世記」をもとに、アダムとエバの堕落と楽園追放を壮大な詩の形式で描いた作品です。
この物語は、人類の“終末”を描いているわけではありません。しかしそこには、すべての終末思想に通じる“霊的な破局の原型”が凝縮されています。
作品の中で、アダムとエバは神に創られ、エデンの園で完全な調和のうちに生きていました。
しかし、“善悪の知識の木”から取って食べてはならないという神の戒めを破ったことで、楽園から追放され、人間の歴史に死と苦しみが入り込む決定的な転換点が訪れます。
これは単なる「ルール違反」ではなく、神との信頼関係が壊れることで始まる“霊的な終わり”でした。
この堕落は、世界が物理的に崩壊する“外的な破局”ではなく、
人間の内面における「無垢の喪失」や「罪の自覚」といった“内的な破局”を表しています。
そして、これこそが多くの終末思想に共通する“本当の崩壊”なのです。
人類を追放へと誘導するサタンの巧妙な言葉
『失楽園』において、人類の堕落を導いたのは、サタンの剣ではなく、言葉でした。
サタンは、エデンの園に住むエバのもとに蛇の姿で現れ、巧みに語りかけます。
その語りは攻撃的ではなく、知的で優しく、時には真理のように響くのが特徴です。
彼はこう言います。
“God therefore cannot hurt ye, and be just;
Not just, not God; not feared then, nor obeyed.”
——神があなたに害を与えるなら、それは正義ではない。
正義でなければ神ではない。神でなければ、恐れる必要もない。
また、こうも語ります。
“Why then was this forbid? Why but to awe,
To keep ye low and ignorant, His worshippers?”
——なぜ実を禁じたのか?
それはあなたたちを無知なまま、従わせるためではないのか?
こうした言葉は、「神は愛ではなく支配であなたを縛っている」と思わせる、疑念の種です。
さらにサタンは、自分がその禁断の果実を食べて「より賢くなった」と主張し、その姿を証拠としてエバに示します。
“Ye shall not die… look on me.”
——あなたは死なない。私を見てごらん、私は食べたが生きている。
こうしてサタンは、「神は真実を隠している」と暗に示し、
エバが自分自身の判断を“信頼”するよう仕向けます。
このように、『失楽園』のサタンは、直接的な命令や力による支配ではなく、言葉を通じて自由意志を歪ませ、神との関係を破壊するのです。
神を疑うように誘導する心理操作
サタンが用いたのは、単なる嘘ではありません。
彼の語り口は、“一部の真実”と“感情への訴え”を混ぜ合わせた半真実(ハーフ・トゥルース)です。
たとえば、
- 神は知識を禁じている → 神はあなたに力を持たせたくないのだ
- 神は死ぬと言ったが、私は食べて生きている → 神の言葉は嘘だったのか?
- 神は善である → 善ならば、なぜ禁じる?
これらの言葉には、完全に嘘とは言えない論理が含まれています。
それゆえに、エバはすぐに反論できず、「もしかして神は……」という疑念を心に抱いてしまいます。
『失楽園』が描くサタンの戦略とは、神を直接攻撃するのではなく、神の“イメージ”を少しずつ歪ませていくこと。
そうして、人間自らの選択によって楽園を手放させる。
それが最も巧妙で、最も古い欺きの手口なのです。
現代の私たちもまた、恐れや不安によって、見えない誰かに心の“楽園”を手放していないか?
終末の噂に触れたとき、こう自問することが、霊的欺きから身を守る第一歩になるのかもしれません。
次章では、終末思想の原典とも言える「聖書」が語る“終わりの時”の真の意味に迫ります。
そして、サタンのウソに対して、どのような視点を持つべきかを明らかにしていきます。
5.聖書が語る“本当の終末”と“悪魔(サタン)のウソ”
ヨハネの黙示録とキリストが語った「終わりの時」とは
聖書における「終わりの時」とは、世界の破壊ではなく、神による世界の完成=“成就”を意味しています。
特に新約聖書『ヨハネの黙示録』は、終わりの時を象徴的なビジョンで描いており、それは「破局」ではなく、“悪と死が最終的に滅ぼされる”という希望の物語でもあります。
イエス・キリストも福音書の中で「世の終わり」について語っています。
「あなたがたは戦争のことや戦争のうわさを聞くことになるが、気をつけて、うろたえないようにしなさい。これらは必ず起こります。しかし、終わりが来たのではありません。」(マタイ24:6)
ここでイエスは、「戦争」や「飢饉」「地震」などを予告していますが、
それは“世界の終わり”そのものではなく、終わりの前兆に過ぎないことを強調しています。
また、終末には偽預言者や偽キリストが現れるとも語られており、
多くの人々が“見かけの奇跡”や“恐怖”によって惑わされると警告しています。
「多くの偽預言者が現れて、多くの人々を惑わす。」(マタイ24:11)
つまり、聖書が語る「終わりの時」は、恐怖によって人々を萎縮させるものではなく、
真理を見抜いて愛で生きられるかを問われる“心の選別の時”なのです。
サタンが仕掛ける「欺き・誘惑・災い・試み・反逆」のワナ
聖書では、終わりの時にサタン(悪魔)が本格的に活動するとされています。
その働き方は、暴力や混乱だけではありません。
むしろ、“見た目には魅力的”で、“もっともらしい理屈”で人を騙すのが特徴です。
『ヨハネの黙示録』12章では、サタンは「全世界を惑わす者」として描かれています。
「この巨大な龍、すなわち悪魔とかサタンと呼ばれる者、
全世界を惑わす者が、地に投げ落とされた。」(黙示録12:9)
また、サタンは以下のような形で人々を欺くと考えられています:
- 欺き(deception):真理を歪め、偽りを真実のように見せる
- 誘惑(temptation):欲望・恐れ・優越感などに訴えて判断を鈍らせる
- 災い(disaster):病・戦争・自然災害を通して「神はどこに?」と疑わせる
- 試み(testing):信仰や愛が試される場面を通して、心の奥に潜む本音が現れる
- 反逆(rebellion):神の秩序や教えに対して「それは時代遅れだ」と反抗を促す
特に現代では、終末思想に見せかけた陰謀論や“スピ系情報”の中に、
このような「サタン的な嘘」が忍び込んでいるケースが見られます。
つまり、真に恐れるべきは「いつ地震が起きるか」ではなく、
“あなたの心が何に信頼を置いているのか”が、終わりの時に問われるのです。
「終わりの時」に試されるのは人類の心
聖書において、「終末」は単なる未来の出来事ではありません。
それはむしろ、“今この瞬間も進行している霊的な戦い”なのです。
イエスはこう語りました:
「目を覚ましていなさい。あなたがたの主がいつ来られるか、あなたがたは知らないからである。」(マタイ24:42)
この言葉が意味するのは、未来に起こる出来事を当てようとすることではなく、
日々の中で“心の目”を覚ましているかどうかです。
たとえ明日、世界が終わらなかったとしても、
自分の心から希望や愛を手放してしまえば、霊的には“すでに終わっている”という視点もまた重要です。
つまり「終わりの時」とは、心の光が試される時。
“何を信じ、何に怯え、何を選ぶか”という選択が、静かに問われているのです。
次章では、そうした不安や恐れに心を支配されないための「まとめ」として、私たちが持つべき視点と、具体的な心の備えについてご紹介します。
6.不安に心を支配されないために──まとめ
ここまで読んでくださったあなたへ、もう一度、記事全体のエッセンスを7つに絞って振り返ります。
この記事の重要ポイント7選
- “終末予言”に心を支配されてしまう人は少なくない
SNSや動画での不安の拡散は、現実の行動(旅行キャンセル、不眠、パニック)にまで影響を与えています。 - 人は“不確実な未来”に不安を抱き、それをコントロールしたくなる生き物
心理学的には、「恐怖」が「信じたくなる心」を生み、それが噂や予言を信じ込む原因になります。 - “終末への憧れ”の根底には、今の世界に対する閉塞感や孤独がある
「全部終わってほしい」という願望は、時に“救済”を求める心の裏返しです。 - 古典文学『失楽園』に見る破局の原型は、“神との信頼関係の崩壊”
物語は物理的な破壊ではなく、「心の内側の堕落」が“真の破局”であると描いています。 - サタンの言葉は、感情や一部の真実を織り交ぜた“半真実”という巧妙なウソ
私たちが神を疑うよう仕向け、神とのつながりを断つように語りかけてきます。 - 聖書が語る「終わりの時」は、“愛と真理”が問われる時
災いや偽予言者によって揺さぶられながらも、「何を選ぶか」が最終的に問われます。 - “終末”とは、未来の出来事ではなく、“今この瞬間の選択”でもある
愛、希望、信頼を捨てたとき、人は霊的に「終末」を迎えてしまう。だからこそ「目を覚ましている」ことが大切です。
「人類の破局」に直面したあなたへ伝えたいこと
もし、この記事を読んでいるあなたが、
「何か大きな破局が来るのではないか」と不安を感じていたなら、
その気持ちは、決しておかしなものではありません。
この世界には、確かに不安にさせる出来事が多くあります。
そして、恐怖や不確実性に覆われると、何か“特別な情報”を信じたくなってしまうのも自然な反応です。
真に大切なのは、“外で何が起こるか”ではなく、“あなたの心が何を信じるか”です。恐れに支配されてしまうとき、私たちは心の主導権を手放してしまいます。
その代わりに、日々を「愛と真理」に基づいて生きるなら、たとえこの地上が揺らいでも、あなたの魂は決して揺るがされることはありません。
終末思想や破局の噂に巻き込まれたときこそ、自分自身にこう問いかけてみてください。
「私は、誰の声を信じているのか?」
「たとえ、今日死ぬとしても”愛”で生きられるか?」
あなたの心が愛と真理とつながっている限り、
どんな噂や噓よりも強く、今日を歩むことができるのです。
次章では、今回の記事のテーマを音楽で表現したオリジナル楽曲『LIAR MAGIC』をご紹介します。
サタン的な“欺きの構造”とその“終わりの時”を描いています。
楽曲『LIAR MAGIC』──サタンの魔法に惑わされないために
終末思想や人類破局の噂が渦巻く時代。
「何を信じるべきか」「どの声に耳を傾けるべきか」が、これまで以上に問われています。
そんな“心の霊的戦い”を、音楽にしたのがオリジナル楽曲『LIAR MAGIC』です。
この楽曲は、サタンの霊的攻撃をテーマにしており、
“魔法のような嘘”が、どのように人間の心を捕らえ、支配し、破滅へと導くかを、段階的に描いています。
以下にこの楽曲を設置していますので、イヤフォンなどで静かに聴いてみてください。
【Verse 1(嘘でだます)】
神のような
甘い言葉でだました
his a hollow lie
目を光らせて獲物を狙い
隠れてワナを張る
into endless dismay
連れていく、魂を
【Verse 2(異性で誘惑)】
あでやかな色彩
奪われる意識
breeds thirst anew.
戦いの最前線で始末
真実は闇の中へ
but guilt won’t go
罪と堕落の連鎖
【Chorus 1(災いで試みる)】
きっと呪うだろう
全てを奪ってみよう
our bond, will it fray?
言葉を浴びせ
その姿をあざけろ
within your endless saga
もたらす災い
【Bridge(富と名誉で誘惑)】
ほら、助けてもらえ
この石に命じて
let it show
パンに変えられるだろ?
全ての国とその栄華
won’t you try?
望むまま与えよう
【Verse 3(神を否定)】
支配しよう、この地を
妬みと憎悪
into the idol’s drama
神の否定者
真理を曲解
they wish were true.
呑み込もう闇で
【Verse 4(終わりの時)】
眠る者が目覚めた
いのちの書に記した
every identity
心の奥を照らし
隠した嘘が暴かれる
survey each display
その報いを受けろ
【Chorus 2(再創造と救い)】
涙も痛みももうない
すべては新たに
Waters of life renew
こころの飢餓を癒す
光だけがとどまれ
Shadows fade into glow
永遠(とわ)に歌った
次は、この記事のラストを飾るストーリー
『終わりの時間の抜き打ちテスト』~ココロの採点あなたは何点?~ をお届けします。
リラックスしてお楽しみいただければ幸いです。
ストーリー『終わりの時間の抜き打ちテスト』~ココロの採点あなたは何点?~
場所: 大学構内
登場人物:
光(自己肯定感が低い哲学男子)
未來(承認欲求が強い元アイドル)
千沙(感情を出すのが苦手で動物好き)
天使K(3人を見守る担当の天界人)
堕天使A(闇に誘導したい元天使)
【シーン1:学生SNS「人類滅亡」】
( 夏空の下、学生たちはどこか浮ついていた)
学生たち:「マジで!?7月5日が世界の終わり!?」「え、課題出す意味なくない?」「推しと心中したい」
(そんな声が飛び交い、匿名SNSでは不安を煽る投稿が炎上中)
《#世界終わりかも》
《#推しと最後に会いたい》
《#7月5日説ガチ》
「NASAのデータから解析したらマジで人類滅亡らしいよ(※誰だよ)」
光(ため息交じりに):「くだらない……けど、みんな本気で信じてるのが怖いな」
未來(あきれ顔で):「ね。こういうのってさ、“信じたい嘘”ほど拡散されるの」
(未來はSNS画面をスクロールしつつ、言葉を続ける)
未來:「“この終わりを逃すな”とか、“今こそ魂の解放”とか……変なアカウントも混じってない?」
千沙(眉をひそめて):「んー……この投稿主、昨日まで自己啓発系だったのに、今日から預言者名乗ってる」
《#選ばれし魂しか救われない》
──見えないところで、誰かが人々の不安を煽っていた。
少しずつ、“破局”という言葉が、心を侵食していく。
【シーン2:デマの真犯人】
(大学構内の掲示板には、なぜか貼り出された怪しげなチラシ)
《#7月5日、魂のふるい分けが始まる──備えよ》
《この世界は終わる。だが“選ばれし者”は救われる》
《今こそ“5次元意識”へ!》
(学生たちはざわつき、チラシを撮影して他人に送り合っている)
学生A:「なんか、信じたもん勝ちって気がしてきた」
学生B:「俺、告った!人生の締めくくりってことで!」
(キャンパス内では、カップルが急にプロポーズしたり、コンビニでは爆買いが発生。教授もやる気なしで、講義は“人生の最期に言いたいこと”に変わっている)
未來(呆然):「……なにこの終末ノリ?校内、パニック前夜祭じゃん」
千沙:「ちょっと、見て。あそこ……あんな天使、見たことない」
(噴水前のベンチに、白く輝く衣装を着た“誰か”が座っている)
光:「……ほんとだ、天使っぽいな。でもKさんじゃない」
(そのとき、空からまばゆい光が差し、Kがふわっと降臨)
天使K(やや急ぎ気味に):「やはりか……。この混乱、堕天使Aの仕業で間違いない。人間の不安を煽って、闇に誘導するつもりだ」
(3人、顔を見合わせる)
未來:「でも、チラシ配ったり、SNS操作したりって……地味に人間的だね、堕天使って」
天使K(真顔で):「地味な悪が一番厄介なんだ」
──騒ぎの裏で、闇のプロパガンダがじわじわと浸透していた。
【シーン3:天使の採点】
(天使Kが小さな端末のようなものを取り出す)
天使K:「ふぅ……間に合ってよかった。これから“魂の抜き打ちテスト”が始まる。採点業務が山積みでな」
光:「……なんか、さっきから手元の装置、ピコンピコン光ってません?」
天使K(うなずきながら):「これは“魂スキャナー改・Ver7.5”。今、天使たちが手分けしてこの学内の“終末対応度”をチェック中だ」
(端末には、近くの学生たちのココロが数値化されたデータがグラフで表示されている)
天使K:「人類滅亡の噂に直面したとき、人の“本性”があらわになる。善意も、欲も、恐れも、ぜーんぶ丸見えだ」
未來(口をとがらせて):「つまり?“人の反応”を見て、点数つけてるってこと?」
天使K:「うむ。そして高得点者は“光の子候補”として、天軍にスカウトされる」
千沙:「……え、私たち、今この瞬間も採点されてるってこと?」
天使K(にやり):「その通りだ」
千沙:「うわ……怖ッ!」
(と、そこへキャンパスの遠くで騒ぎが起きる)
学生:「なんか……やたら目立つイケメンが“光の救世主”を名乗って講義棟でなんか歌ってるぞ!」
(遠くから『LIAR MAGIC』を歌う声が聞こえてくる)
🎵 “神のような甘い言葉でだました……”
“his a hollow lie 目を光らせて獲物を狙い”
千沙:「……あの波動の雰囲気、まさか……」
【シーン4:青田刈り(スカウト)】
(講義棟前、人だかりの中心には、キラキラオーラな美闇輝夫)
🎵 “支配しよう、この地を”
“妬みと憎悪 into the idol’s drama”
取り巻きたち:「キャーーーー!!輝様ぁぁ!!」
🎵 “こころの飢餓を癒す 光だけがとどまれ”
“Shadows fade into glow 永遠に歌った…”
取り巻きたち:「キャーーーー!!輝様ぁぁ!!」
《#光の救世主 #拡散希望》
美闇:「みんな、気づいてるよね?この世界は“終わり”に近づいてる。でも、大丈夫。“光の救世主”である僕が、君たちを導くから」
(額に自作の“キラキラ輝シール”集団が、美闇を囲みはじめる)
千沙:「……やっぱり美闇!しかも完全に宗教化してるw」
未來:「“光の救世主”てw」
(Kはビシィィィッッと美闇を指差す)
天使K(スキャナーを見せて):「美闇!お前の魂は光度0点だ!どうせ、Aもここにいるんだろ?」
(美闇の影がゆらりと揺れ、堕天使Aの姿が浮かび上がる)
堕天使A:「終末はチャンス。不安を煽れば人は簡単におかしくなる……」
天使K:「そうはさせん!」
(学内に派遣されていた天使たちが、美闇の周りに集まってくる)
美闇(驚きつつ):「……あれ?本物の光、呼んじゃった感じ?僕、すごくない?」
(天使はスキャナーから出ているプラグを美闇の頭にぶっさす)
美闇:「ぎゃっ!!……え、痛くない。」
(他の天使も、取り巻きの頭にぶっさす)
※普通の人は天使を感知していない
天使K:「今回、天使たちは神様から、採点と裁きの業務をするように言われてきたんだ」
光:「裁き?」
天使K:「あぁ、“知能低下”の裁きだ」
未來&千沙:「え!知能?……怖い!」
(プラグから彼らの知能が1/3ほど抜き取られていく)
天使K:「これでもう大したことは考えられないだろ」
──その数日後、学内の一角で──
美闇(キラキラ):「そう、僕は光の救世主なんだぁ」
取り巻きたち:「キャーーーー!!輝様ぁぁ!!」
《#光の救世主 #拡散希望》
その他の学生:「あいつらw、7/5終わったのにまだやってるよ」
千沙:「知能、変わってないじゃんw」
光&未來(あきれて):「笑」
──完──