原因不明の心の苦しみや不安、孤独感などに悩む方へ
私自身が長年苦しみ続けた自己否定や疎外感を『生命の木とつながる』メンタル習慣によって癒し、安定感を取り戻した実践法を紹介します。
この記事で紹介する習慣を生活に取り入れることで、神のエネルギーを受け取り、これまで見つけることができなかった人生のあらゆる悩みを解決する答えに導かれていきます。
Contents
原因不明の心の苦しさを解消するには
自分にも他人にも癒せない苦しみ
心理学やスピリチュアルを学んで心を癒そうとしたり、心に抱えている問題を解決しようとする人が世の中には沢山います。
かつての私もその一人でしたが、何年学びと実践を繰り返しても一向に解決できない問題がありました。
私の場合、それは「自己否定」と「疎外感」です。幼い子どもの頃から、自己否定と疎外感が心の奥底にあって、約40年ものあいだ苦しめられてきました。
自己否定と疎外感があることで、いつしか心がねじ曲がってしまい、人間関係がうまくいかなくなったり、心の葛藤が増えていきました。これらの表面的な問題については、心理学や自己啓発的なことを学んだり実践する中で、ある程度解決できたという手ごたえを感じていたのですが、問題の核心である「自己否定」と「疎外感」自体の原因はわからず、それを取り除くこともできませんでした。
そのような苦しみを抱えていた私が、長年の問題を解決できた方法をひと言で言うと「生命の木」とつながることです。それについて詳しく説明をしていきます。
「生命の木」のエネルギーを受け取る
生命の木とつながって生きることによって毎日エネルギーをもらうことができます。自分だけでは得ることができない癒しのエネルギーを日々得ることができるので、苦しんでいた心が徐々に癒され息を吹き返すように元気になっていきます。
レイキヒーリングなどを学んだ事がある方は、エネルギーを受けることを体験したことがあると思います。私も過去にレイキヒーリングをしていたことがありました。感覚としてはそれに近いのですが、エネルギーの周波数が違う感じです。
生命の木から受け取るエネルギーは「聖霊(Holly Spirit)」です。やるべきことを実践すると誰でも、あたたかい愛の波動が心と身体に感じられるようになっていきます。
「生命の木」とつながるための習慣
以下のことをできる限り毎日おこなって習慣化してください。それによって「生命の木」とのつながりが強くなっていきます。たくさん実践すれば、その分たくさんのエネルギーを受け取ることができます。
- お祈りをする
神様へお祈りをすることで、様々な助けを得られたり、内容や条件によっては願いがかなえられたりします。また、対話を通じて神様との関係を深めていくことでエネルギーを受けることができます。
私は神様に「自己否定」と「疎外感」を取り除いてもらえるようにお祈りして、それが実際に叶えられました。これまで何をやっても解決できなかった問題が、本当に解決したので自分でも非常に驚きました。 - 讃美歌を歌う
讃美歌を歌うことでもエネルギーを受けることができます。神様へ歌を歌うことで喜ばれて関係を深めることができるので、ぜひ毎日歌を捧げてください。 - 聖書を読む
聖書にはたくさんの考えが書かれてあります。それを読むことで神様の考えていることが少しずつわかるようになります。相手の考えを深く理解することで、さらに関係を深めることができます。また、自分自身の間違った考え方、自分で自分を不幸にしている曲がった考え方なども修正することができます。 - 御言葉を聞いて実践する
御言葉を聞くことはリアルタイムで神様が伝えたいことを聞くことです。聖書に書かれていることは、過去の各時代の使命者であるモーセやイエス・キリストを通じて神様が伝えたことです。現在、伝えてくださっていることを聞くことが最も必要な情報を得ることになります。
心の癒しと安定の秘訣
人間関係の苦しみに依存しない
人間関係には多くの苦しみが伴います。恋人や夫婦のプライベートの親密な人間関係であっても、長く幸せな関係を維持できることは本当にまれなケースだと言えるでしょう。
初めのうちは幸福感を感じる関係だったとしても、数年・数十年の月日が経つと、その幸福感は失われてしまいます。時とともに失われていくものを追い求めることは苦しみを感じざるをえません。ここに依存していると、新たな関係を求めては失っていくというループにはまってしまうでしょう。
恋愛依存はその最たるものだと思います。例えば、女性向けの占いを見てみると「恋愛成就」を売り物にしたサービスが溢れています。このような恋愛沼に落としていくことで、占い師は高額な鑑定料を継続的に得られるように、恋愛と占いに依存させていきます。
どこまで行っても心の安定には至らないことは明白ですが、それすらも分からない脳の状態になってしまうのは本当に恐ろしいことです。
物欲・名誉欲・執着心を手放す
男性に特に多いのは物欲・名誉欲への執着心による苦しみです。多くの物を得て多くの欲求を叶えた人も、実は幸せではないという落とし穴があります。
この数年、芸能界の醜悪な実態がいくつも暴露されていますが、栄華を極めた成功者ともいえる彼らの心の中は、どこまでも欲にまみれていて尽きることのない欲によって、多くの悪事に手を染めて自分の身を亡ぼす結果になっています。
もちろん、欲しいものを手に入れた時は喜びがあります。だからこそ、それを手に入れるために仕事を頑張ったり、様々な能力をみがいたり、人によってはズルをしてでも手に入れるために悪事に手を染めたりしています。
その手に入れた時の喜びが持続すればいいのですが、残念ながら持続しません。ものによっては数か月や数日で喜びがなくなってしまいます。そのため、次々に手に入れるためにあくせく生きなければなりません。また手に入れれば手に入れるほどハードルが上がります。初めは3くらいのもので嬉しかったことが10でないと喜べないという風にハードルが上がって、手に入れることがより困難になっていきます。
普通の人は有名人のように、そこまで欲を満たすことはできません。そのため、多くの物を手に入れている人を見て羨んだり、劣等感を感じたりして苦しみを感じてしまいます。つまり、得られても得られなくても苦しむし、得られたものを失う時には更に苦しむという、どこまでいっても苦しみを伴うことから避けられないのです。
霊魂の飢え渇きを癒す
私たちには目に見えない霊魂があります。肉体の自分と霊体の自分がいて、霊体の自分が苦しんでいると、その苦しみが徐々に肉体の自分にも伝わってくるようになります。
死んで肉体がなくなった人の霊を感じる人も世の中にはいますが、現代人のほとんどは霊的な感覚が衰えているので、感じることが難しいでしょう。
わたしも全く感じられませんでしたが、日々「生命の木」とつながって生きることで、閉じられていた目が開かれて霊のことも少しずつわかるようになって来ました。私は自分の霊体がどのような状態だったのかを、次のような夢を通じて見せられました。
生きているのか死んでいるのか見分けがつかないほど、弱々しくやせ細って小さくなった動かない小鳥が、カゴの底の方に倒れているのを見つけました。それを見た私は、小鳥をきちんと世話しなかったこと、その弱っている小鳥に気がつかなかったことを強く後悔して、自分を責める気持ちが湧いてきました。
この夢を見た時にすぐには意味が分からなかったのですが、しばらくしてから、この弱った小鳥の姿は、死にかけていた私の霊体を比喩的に表現していたことに気づきました。私はオカメインコが大好きで飼っているので、このように見せることでわかるようにしてくださったのです。
霊魂が常に攻撃を受けて苦しめられていたり、十分な栄養がなく飢え渇いているような状態が長く続いていると、霊体の自分が実際に苦しみます。この霊体の苦しみや飢え渇きを癒すために必要なことが「生命の木」とつながることです。
肉体の飢え渇きは、美味しいご飯を食べて身体を休めることで癒されますが、霊体の飢え渇きは「生命の木」から得られるエネルギーを食べないと癒されないのです。また、霊体が十分な栄養を得て成長していくことができません。
自分を癒すために現実的な色々なことを試しても、心の奥から湧いてくるむなしさや苦しさが癒されない場合は、霊体が死にかけている可能性が高いと考えてください。
生命の木とつながって生きる大切さ
他人の影響を受けない心の癒し
例えば、仲のいい友人と遊びに行ったり、話を聞いてもらったりして、人との関わりから心の癒しを得ることもありますが、同じ相手から何度も同じように癒しをもらえるとは限りません。
友人が仕事などで忙しくなってしまうこともありますし、何度も相談していると相手が負担に感じてくることもあります。
「生命の木」とつながって心の癒しや安定を得ることは、自分次第で確実にできます。そのため人からの影響をほとんど受けません。また、他人があなたの心を癒すことはある程度可能でも、霊魂を癒すことは不可能です。
自分次第で確実に手に入る安心感
上述した1から4の習慣をおこなうことは自分次第でできることです。これをしなければ得られませんが、すれば確実に得られるので、手に入らなかったらどうしようという不安を感じることがありません。
例えば、何か嫌なことがあったり落ち込むようなことがあったりした時、誰かに頼って心の癒しを求めたり、沢山のお金を使って遊んで気晴らしする必要もありません。それに、遊んで気晴らしをしたところで、霊魂の飢え渇きを癒すことは不可能です。
もっとも、初めての時には不安もあります。何度かやってみるうちに本当に得られることを確認して、確信できるようになっていくでしょう。
霊魂が求めている愛と真理
霊魂が求めている愛と真理を「生命の木」から得ることで癒されます。また必要な栄養を得て、健康に成長することができるようになります。
ここでいう愛とは人間の愛ではなく神様からの愛です。人間の愛では癒せないものが神様の愛では癒すことができます。この神様の愛は「聖霊」を通して、私たちに与えられて心と身体で感じることができます。聖霊とは聖なる霊の総称で、神様やその御使い(天使)のことを言います。つまり神様が与えてくださるものを天使が運んできてくれるということです。
真理とは神様の言葉のことです。この世界や人間の真理を誰よりも伝えられるのは、この世界と人間を創造した神様です。人間がどうすれば幸せになれるかは、人間にはわかりません。しかし、作った神様にはそれがわかっているので、伝えてくださっている言葉を学んで実践することで、霊魂が癒され成長していきます。
私の霊魂はほとんど死んだようなような状態で、心が苦しいだけでなく肉体もボロボロになっていましたが、「生命の木」とつながることを1年半以上続けて来て、今ではすっかり元気で毎日のように心に喜びがあります。
後になって分かったことですが、私の場合は悪霊による霊的な攻撃もありました。聖霊によって守られることで、悪霊を退けてもらい自分の霊魂が守られるようになりました。
霊的に成長することもできるので、これまでわからなかった霊的な影響を、敏感に感じ取ることもできるようになってきます。目に見えない電波のような、聖霊や悪霊の周波数を感覚的に察知して、悪霊の場合は適切な対策を取ることもできるようになります。
木につながっている枝だけが実を結ぶ
切り落とされた枝は、根っこや幹から必要な栄養を得られず、生きることも実を結ぶこともないように、私たちの霊体は「生命の木」に接ぎ木されてつながっていなければ、毎日必要な栄養を得ることができません。
それでも肉体は生きることができますが、肉体が求めることをいくら満たしても霊体の飢え渇きは満たされず、むしろさらに苦しくなって、原因がわからない苦しさやむなしさを抱えて生きることになってしまいます。
霊魂が苦しんでいることが理解できないので、もっともっと欲を満たそうとして、結局何のために生きているのかわからなくなります。私たち人間が生きる本当の意味も、人間の頭でいくら考えてもわかりません。これは、これまで真剣に幸せや生き方について考えてきた人にはわかるのではないでしょうか。
「生命の木」につながって栄養を得るだけでなく、真理を得て賢くなっていくことで、世の中の情報に惑わされることもなく、自分が気づいていない生まれた時からの洗脳も解かれていきます。
そうすることで、心の癒しや安定が得られるだけでなく、自分が生きる意味が分かり、どう生きれば幸せになれるかも理解できるように導かれます。自分という枝から価値ある実を結ぶことができるようになるのです。
生命の木とは何か
聖書に登場する「生命の木」とは、エデンの園に神が植えた樹として創世記に現れ、永遠の命と神様との親しい交わりを象徴しています。アダムとエバの罪によりその実が得られなくなりました。新約聖書のヨハネの黙示録でも神のパラダイスにある「生命の木」について記されていて、勝利を得た者には「生命の木」から食べることを許されています。
私は、旧約聖書の初めの書である創世記と、新約聖書の最後の書であるヨハネの黙示録に「生命の木」について書かれているのが、意味深だと思いました。
聖書の記述
神である主は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。(旧約聖書 創世記2-9)
神である主はこう言われた。「見よ。人はわれわれのうちのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、人がその手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」神である主は、人をエデンの園から追い出し、人が自分が取り出された大地を耕すようにされた。こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。(旧約聖書 創世記3-22~24)
耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者には、わたしはいのちの木から食べることを許す。それは神のパラダイスにある。』(新約聖書 ヨハネの黙示録2-7)
御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。(新約聖書 ヨハネの黙示録22-1~2)
自分の衣を洗う者たちは幸いである。彼らはいのちの木の実を食べる特権が与えられ、門を通って都に入れるようになる。犬ども、魔術を行う者、淫らなことを行う者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は、外にとどめられる。(新約聖書 ヨハネの黙示録22-14.15)
まとめとおすすめの曲
この記事では『生命の木』とのつながりを通じ、自己否定や疎外感といった根深い苦しみを解消するための習慣を解説しました。
お祈り、讃美歌、そして聖書と御言葉の実践を通して、神様のエネルギーを受け取り、霊的に成長することで、様々な心の問題を解決できるだけでなく、新たな自分に導かれることができます。
新しい行動を習慣にすることは簡単ではありません。初めから無理をせず、自分でも物足りないと感じるくらい少しずつはじめ、負担なく続けるようにしてみてください。また、お祈りを習慣化すること自体をお祈りすることもおすすめです。
神様の愛を受けとってくれることを、神様も願っておられます。
あなたの心の苦しみがなくなりますように。
KEI
最後におすすめの曲を紹介いたします。
種を蒔くもの -feat.AI
救いに来たんだ、そのむなしさから
キミの心を、ウソの言葉から
いつわりの光と、嘆きの声から
よろこびの種を、この手に握って
輝く光の、イルミネーション
いつわりの光の、イミテーション
キミの心を、不協和音
ネオンのように消えるよろこび
闇夜のけもの、ウソの預言者
いつわりの光を照射
キミの心を、だます偽善者
よろこびの種を奪うペテン師
救いに来たんだ、そのむなしさから
キミの心を、ウソの言葉から
いつわりの光と、嘆きの声から
よろこびの種を、この手に握って
いつわりを放つ滅びの声、成功も繁栄も仮初め
心の闇は光におびえ、本当の声は闇に溶け
ウソとマコトをごちゃ混ぜ、救いの方舟は見せかけ
この痛みも苦しみも、原因不明
種を蒔くもの、たずさえる光
キミの心に、いのちの泉
いつわりの光、切り裂いたつるぎ
よろこびの種を育てる恵み
救いに来たんだ、そのむなしさから
キミの心を、ウソの言葉から
いつわりの光と、嘆きの声から
よろこびの種を、この手に握って
受け取ってほしいんだ、差し伸べた手を
よろこびの種を、ともに育てよう
作詞作曲:KEI&AI