お葬式にお坊さんを呼びたくないけど、大丈夫なのだろうか?
このような疑問を持つ方へ、実際にお坊さんを呼ばないお葬式をおこなった私の実体験から、詳しい情報をお伝えいたします。
私が喪主として父のお葬式をした話
2022年に父(享年68歳)が亡くなって、長男である私が喪主として様々な手続きや葬式を全て行いました。
私の母も生きてはいるのですが、両親は離婚しているので私がやることになり、わからない事だらけで戸惑いながら、葬式のことは本当にすぐに決めなければならないので焦ってしまいました。
父が入院していた病院から急に電話がかかってきて、父の容体が急変したことを聞きました。その日の予定や仕事を調整しながら病院にかけつけて、父の遺体を確認したり、これから必要な手続きを聞いたりして、その後すぐに葬式の手配をしなければなりません。
葬式のことなんて、これまで考えたこともなかったのでノープランだし、病院から渡された葬儀業者のパンフレットに記載されてある「スタンダードプラン」みたいなものをそのまま頼むのが普通なのでしょうが、私はその時、直観的に・・・
KEI
父はお坊さんなんて呼んでほしくないし、お経も聞きたくないはずだと思ったので、その希望に沿った葬式にするために、病院で手渡された葬儀業者のパンフレットは脇に置いて、スマホで検索して希望を叶えてくれそうな葬儀業者を探しました。
情報を探したり検討したりする時間はほとんどなかったのですが、なぜかスムーズに良さそうな会社が見つかり、さっそく電話して相談してみたところ、お坊さんもお経も無しの自由な形式で家族葬ができる会社が、地元ですぐに見つかりました。
私の個人的な感想ですが、結論を先に言っておくと、お坊さんもお経も無しにして本当に良かったと思いました。個人の想いや考え方を大切にできたと思いますし、わたし自身も想いを込めて丁寧に葬儀を執り行うことができました。
お坊さんを呼ばない葬式にかかった費用
私が実際におこなった葬式の費用を紹介します。
内容 | 金額 |
家族葬プラン ・寝台車 病院~式場~火葬場(10キロ圏内) ・担当者1名、役所手続き、火葬場予約代行、火葬場同行 ・納棺用品一式(棺、布団、杖、仏衣) ・生花祭壇、遺影写真、枕飾り、自宅飾り ・安置費用1日分、式場使用料 ・焼香セット、受付セット、式場前看板 | 382,800円 |
供花(追加で注文しました) | 33,000円 |
合計 | 415,800円 |
お坊さんを呼ぶのであれば、上記の金額に加えて、通夜・葬儀・火葬場での読経のために15万〜50万円程度が追加でかかるそうです。
そもそもなぜ坊さんは必要なのか?
今回、私は父の葬式にお坊さんを呼ばなかったしお経もあげませんでしたが、良いお葬式をできたのではないかと感じています。
世の中では、葬式にはお坊さんを呼ぶことが当たり前のように考える人がたくさんいますが、そもそもなぜお坊さんが必要なのでしょうか?
葬式にお坊さんを呼ぶ人たちのほとんどは「周りの人たちがお坊さんを呼んでいるから、ウチも呼んでおこう」という風に、周りに合わせているだけに過ぎないのではないかと思います。つまり「よくわからないけど、周りの人とに合わせて同じことをしておこう。」ということに過ぎないのではないでしょうか。
日本は同調圧力がとても強い国ですので、それもある程度は仕方が無いかもしれません。しかし、家族葬なら家族以外の世間の人の目を気にする必要もありませんので、故人の考えや想いを尊重してお坊さんを呼ばないという選択をしても全く問題ないはずです。
もし家族内で宗教的な対立などがあれば、この限りではありませんが、そんなことは稀なケースでしょう。
話が脱線してしまいますが、数年前のコロナワクチンの時も大多数の人たちは、自分で考えようとも調べようともせずに世間に合わせてワクチンを打ってしまいました。その結果、恐ろしい数の健康被害が出てしまっています。このように脳死で世間に合わせて生きることは、とても危険な時代になってきていると思います。
葬式で唱えられるお経は意味不明
私も親戚や知人の葬式に参加した時にお経を聞くことがあります。しかし、その言葉の意味は全くわかりません。
KEI
仮にあなたが死んで、お葬式でお経が読まれたとして、あなたは霊体でそれを聞いたとしても意味が分からないでしょう。その意味不明な言葉に対して喜べるでしょうか?
あなたをちゃんと送り出すために葬式をきちんと用意してくれた家族や親族の思いやりには喜びや感謝を感じるかもしれません。しかしそうであれば、意味の分からないお経などよりも、家族や親族、あるいは友人などが普通の言葉で、あなたとの思い出や感謝の言葉を語ってくれる方がよっぽど嬉しいのではないでしょうか。あなたが好きだった歌を流してくれたり、心を込めて歌ってくれた方が嬉しいのではないでしょうか。
お坊さんであればお経の意味もわかるのでしょうが、私たちには意味不明です。そしてお経は誰にでも同じことを言っている形式的で義務的な言葉にすぎないと思います。
私の父は聖書とギターが好きだった
父のお葬式にはお坊さんを呼びませんでしたが、会場には父の好きだった聖書・ギター・酒と、家族やネコとの写真を用意して並べ、BGMはクラシックギターのアルバムをダウンロード購入して流しました。
私は父が死んで、葬儀の準備をしたり家を片付けたりしながら、父のことを知ろうと思い聖書を読みはじめました。
そうすると、何となく感じていた「父は葬式にお坊さんもお経も望んでいない。」ということが確信に変わり、本当に呼ばなくて良かったです。聖書によると、偶像崇拝は霊的に危険だとされているので、父の霊魂のためにも良い選択ができて本当に良かったです。
私は子どもの頃、父を嫌悪して遠ざかっていたので、その父が好きだった聖書に関しても否定的なイメージを持って生きてきました。しかし、父からきっかけをもらって聖書を読んでみると、人生の指針となるような普遍的な言葉が現代人にもわかりやすく語られていて本当に面白くて驚きました。
もっと早くから読んでいれば、もっと良い人生を生きてこれたのかもしれませんが、これからの人生に活かしたいと思いました。このようなタイミングで出会うこともお導きであったと思い神様と父に感謝します。
KEI
もしよかったら、もう一つ読んでみませんか?
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