承認欲求を捨てよ。人生の深い苦しみから解放されたこと

少々恥ずかしい告白ですが、わたしは承認欲求が強くて、親しい人や世の人々の気を引こうとしたり、それを手に入れられないことに拗ねてしまうようなところがあるのです。

ただ、年もそれなりにとっているので、その承認欲求を隠すことにも長けてしまっているかもしれません。

例えば、SNSで成功者を装っている起業家をみたり、リア充や人気者の投稿をみているとモヤモヤした感情が心に湧いてきます。その感情には、違和感やうさん臭さなども混じっているのですが、やはり承認欲求も少し刺激されてしまうのです。

「いいね」を沢山もらえることは、承認欲求が満たされることにもつながります。しかし、人からの承認に依存してしまうと、それを得るために自分を偽ったり、本来の道からそれてしまったり、得られない時に欠乏感を味わってしまうので、あまりにも強い承認欲求は自分を苦しめてしまうものだと思うのです。

KEI

この記事では、承認欲求の苦しさから解放された体験を書きました。

承認欲求の原因は無価値の苦しみ

なぜ、人から承認されないと満たされないのか、心が欠乏して渇いてしまうのか?

その心の奥底には無価値感がありました。自分で自分に価値を感じられなくて、生きていて苦しいので、人から認められて価値を感じられるようになりたいと願います。そして実際に人から何らかの形で認められれば、一時的には心の欠乏がなくなり満たされたように感じるので、またそれを得たいと思うようになって繰り返して行きます。

人によっては自分を犠牲にして頑張りすぎたり、逆に人から認められるために富や名声を強く求めすぎてしまったり、健全ではない方向へ進んでしまうケースもあるでしょう。

わたしの場合は、20代の頃は他の人の3倍くらい働いていて、それによって多くの実績をつくることができましたが、最終的に働きすぎて心身を壊してしまいました。これもやはり、根本的には承認欲求を満たすために頑張り過ぎていたのだと思います。

もちろん、自分の能力を磨きたい向上心や、任せられた仕事をやり遂げる責任感なども混じっていますが、その向上心や責任感すらも、承認欲求を満たすための自分への言い訳や、隠すための口実であったかもしれません。

その後起業して、デザイン事務所を細々とやりながら、ボランティア活動を立ち上げて10年ほど社会貢献をしているのですが、これも、世の中に役立つことをして人から認められたいという、承認欲求を満たすためにやっている面があると思います。

 

一時的に満たされて、また苦しむ繰り返し

人から認められることをしたり、そのための富や名声、資格や肩書きを手に入れても、承認欲求が満たされるのはほんの一時です。
満たされたと思った心はすぐに飢え渇いてしまい、喜びから苦しみに変わり「もっと欲しい」と思うようになってしまいます。そうなると、永遠に続くようなループの始まりです。

わたしはそのループの中で生きてきたので、何となく心が苦しいのが日常のあたり前で、たまに一時的にでも心が満たされることがあったら「めっちゃ嬉しい」と思っていました。表面的には良いことや嬉しいことがあっても、内面の深いところでは苦しいのが普通になってしまっていたのです。

その苦しみと折り合いをつけて、こじらせないように気をつけつつ、喜びを少しでも増やしていくために、これまで色々と学んだり取組んだりしてきました。

心理学や自己啓発を学び、人にも伝えながら、自分で自分を不幸にして苦しめている思い込みや考え方に気づいたり、心に引っかかっている古傷みたいな感情を癒したり、喜びを見つけて増やしていくことも出来るようになっていきました。

しかし、もっとも根本的な自分の心の奥深くに根ざしている「無価値感」の原因がわからなかったのです。

 

なぜか自分に価値を感じられない

根っこにある無価値感を土台にして築いてきた、自分を不幸にする考え方は、心のことを学んで取りのぞいてきましたが、まるで最後の強敵であるラスボスのような無価値感を、なぜ持ってしまったのかが全く分からなくて困っていました。

とはいえ、約40年間その正体不明のラスボスと共に生きてきたので、それが自分にとって普通なことであり「一生かかってもわからんことかもしれへんな」と思っていました。

「なんで自分に価値を感じられへんのやろう?」と考えても、とくに思い当たる原因がないのです。わたしの両親は仲が悪くケンカばかりしていましたが、親からの愛情はもらっていて、ひどい虐待を受けたり強くコントロールされてきたような経験もなさそうなのに、物心ついた時にはすでに無価値感がありました。

まだ小さい子どもなのに「ぼくは生まれてこんかった方がよかったんちゃうかな」なんて思っていたし、母の育児記録によるとそんな意味の発言をしていたようです。

 

全てがうまくいかなくなった2023年

正体不明のラスボスともなんとか付き合いつつ、それなりに歩んできた人生でしたが、2023年は全てがうまくいかなくて本当にお手上げ状態になってしまったのです。

  • アレルギーで体中がかゆくて夜もなかなか寝られない。
  • 帯状疱疹ができて更にかゆい。
  • 自律神経がおかしくなって肌に触れるもの全てがストレス、かゆみがぶり返す原因にもなる。
  • これらによって仕事に集中することが非常に難しい。
  • 免疫力が低下して、虫歯と歯周病になり歯を抜かなければならなくなる。
  • 副鼻腔炎(蓄膿症)にもなる。
  • 聴覚も過敏になって、家の中のテレビや動画などの音がストレス。
  • それを家族に相談しても、攻撃され怒りを向けられる。
  • 自宅にいても全く心が休まらずむしろ苦痛を感じる。
  • 事業もうまくいかなくなり収入に不安を感じる。
  • しかし、売上を新たに作る活動も難しい。
  • 大切に飼っているペットも身体が弱ってしまう。
  • メンタルもやられて、正常な思考ができない。

他にもあったかもしれませんが、おおよそこんな感じの状況になってしまい。これまでの人生で得てきた知識や経験では、全く対処ができないほど苦しい状況に追い詰められてしまったのです。

どこかで聞いた「神様は乗り越えられない試練は与えない」といった言葉がありますが、わたしはこの困難な状況から何を学べばいいのだろうかと途方に暮れました。

 

全てをあきらめて祈るしかなくなる

もはや自分では何も現実的に解決することができないし、考え方やとらえ方を変えてどうにかなるものでもありません。人に相談してアドバイスしてもらったことも、裏目に出て余計に状況が悪化してしまう。裏目に出ることをふまえて裏の裏をやっても、やはり状況が悪くなるばかりでした。

本当にどうしようもなくなって絶望して、最後は祈るしかなくなってしまったのです。

夜もあまり眠れなかったので、明け方の時間に祈ってみました。
これまでの人生ではなかった、真剣で切実な心からの祈りです。
もうそれしかできることが残されていなかったので、本当にすがるような気持ちで祈りました。

そうすると、次の日には悩まされていた強いかゆみがほぼ無くなったのです。

あまりのあっけなさに、現実を認識することに戸惑いを感じましたが、祈ること以外には何もしていないので「これは、祈りを叶えてもらえたんやな」と素直に考えることができました。とにかく、悩まされていたかゆみがなくなって嬉しくて感謝したい気持ちです。

そして、明け方の静かな時間に祈ることを続けようと思いました。

 

神様への祈りと導き

話は過去にさかのぼりますが、2022年に父親が亡くなり、わたしが喪主として葬儀をおこなったり、死亡後の様々な手続きをしました。そして、その頃から聖書を読むようになったのです。

父のもとにはいつも聖書があったのですが、わたしは若い頃、父に反抗して敵対していたので、その父が読んでいた聖書にも何となく遠ざかって生きてきました。

しかし、コロナ禍に入って世の中が急速におかしくなっていって、違和感だらけの時に読み始めた「Raptブログ」が、聖書の内容と世の中のからくりについて詳しく紹介されていたので興味を持ちはじめたのと、父が好きだった聖書を知ってみようと思ったタイミングが重なって、読むことにしたのです。

とはいえ、旧約聖書は難解でしたので、新約聖書から読み始めました。

生まれて初めて読んでみると、自分が思っていたのとはイメージが違い、宗教的なうさんくさいものではなく、時代を超えて人間の心の問題や人間関係にも役立つ知恵がたくさん詰まっているし、大半は物語なので面白く読み進められました。特に、心に苦しさをかかえて生きてきた人には、救いとなるような教えが沢山あると感じます。

そして、明け方の時間に祈ることが、最も願いを叶えてもらいやすい。ということがブログで紹介されていたので、聖書の神様へ明け方の時間にお祈りをしてみたのです。

 

無価値感の苦しみから救ってください

明け方の祈りをするようになり、体調も心理状態も周りの環境も変化してきて、祈りが聞かれていることが確信に変わっていきました。

そして、ふと思いついたのです。

「自分ではどうにもできひんかった、幼いころからの無価値感がなくなるようにお祈りしてみよう。」

思いついた翌日の明け方の時間に、さっそくお祈りをしました。
すると、その日に無価値感がなくなりました。

それまで40年もの間、わたしを支配していた魔王のようなラスボスが瞬殺されてしまったので、あまりのあっけなさに呆然自失状態です。しかし、心の奥の方に温かい何かを感じていました。

日常で何か良いことがあったり、人から称賛されたり認められて承認欲求が満たされた時は、表面的には嬉しいと感じますが、こころの奥深くでは苦しさと常に付き合っていかなければならないという状態だったのが変わりました。

逆に、表面的には大変なことや困難なことがあったり、イヤなことがあったとしても、心の深いところには安心感や喜びが湧いてくるようになっていったのです。

 

長くなりましたが、このような経緯で長年の「無価値感」による苦しみから解放されることができました。わたしと同じような、原因不明のこころの苦しさを長年抱えている方がいたら、参考になれば幸いです。

最後に、わたしを救ってくださった神様に感謝いたします。そして、聖書と祈りに導いてくれた亡き父とRaptブログの主ラプトさんにも感謝いたします。

わたしがいつも購読させて頂いているRaptブログの有料記事では、聖書に秘められた謎の解き明かしや、祈りの具体的な方法や自分の才能や個性を見つけて伸ばしていく方法など、膨大な量の御言葉を聞いたり読んだりすることができます。

参考 VOL.111 神様の御心にかなった祈り。Rapt 参考 About UsRapt

何となく直感的に気になる方は、必ず読んでみてください。
わたしだけでなく沢山の人が苦しみから救われています。

KEI

最後までお読みくださり有難うございました。