樺太(サハリン)祖父母の暮らした街を訪ねて

こんにちは、OFFICE YourDesignの正木啓です。
2018年の夏に樺太(サハリン)へ行った時に大変お世話になった、扇さんが発行されている情報誌『月のしずく』にわたしの原稿も掲載いただきました。こちらのブログでもその原稿を紹介させていただきます。

情報誌『月のしずく』

 

樺太時代の古い写真とアルバム

樺太時代のアルバム

亡くなったお爺さんの家を片付けていて出てきた古いアルバム、開いてみてみると若い頃のお爺さんの白黒写真がたくさんあります。それらを見ながら思い出したのが、お爺さんお婆さんが生前、樺太のことをごくたまに語っていた事でした。

これまでは特に気に留めなかったのですが今考えると、お爺さんお婆さんは子ども時代や青春時代を過ごした樺太に一度は帰ってみたかったんじゃないかと思うようになってきました。

そんな時に国立民族学博物館で開催されていた『アイヌ展』が何故か気になって参加してみると、そこで出会った教授の母方のお爺さんも樺太出身者だったそうで詳しく話を伺っていると、神戸に『北方異民族慰霊碑』があることも教えてもらいました。お爺さんは戦前は北緯50度の国境警備をしていたそうなので、何かご縁があるかもしれないと思ってさっそく神戸護国神社に行ってみました。

 

北方異民族慰霊碑での出会い

北方異民族慰霊碑で記念撮影

その日は2017年4月28日、慰霊碑に書かれていた文章を読み日本と共に戦ってくれた異民族の方々に感謝の祈りをささげました。そうこうしているとその翌日(昭和の日)に開催される慰霊祭の準備をされていた扇さんに出会いました。

扇さんから色々と教えてもらい樺太に行くことを勧めて頂きましたが、2017年はまだ準備不足で行くことが出来ず2018年の夏になってようやく樺太に行く段取りが立てられました。

 

一年ごしでようやく樺太(サハリン)へ

樺太の空港

樺太では空港がある州都のユジノサハリンスク(旧豊原)、祖父母が戦前住んでいたと聞いていたホルムスク(旧真岡)、祖父が国境警備をしていた北緯50度付近に行きたいと思ったのですが、いくら調べてもぴったりのツアーが見つからず結局現地のツアー会社に交渉して、オリジナルの行程を組んでもらえて、行きたい所へすべてまわれるようになりました。

 

祖父母が暮らしていたホルムスク(旧真岡)

ホルムスクの工場跡

ホルムスク(旧真岡)ではお爺さんの古いアルバムから出てきた地図と、現在の町の風景を見比べてみるといくつか共通点がみつかります。本当にこの町にお爺さんお婆さんは住んでいたんだなぁと思いながら、ここまで来れてきっと喜んでもらえていると感じました。

 

北緯50度・旧国境付近へ

北緯50度付近のモニュメント

旧国境付近にはいくつかの慰霊碑があり、当時の日本人とソ連人と北方異民族たちに感謝の祈りをしっかりとささげることもできて、祖父母やご縁があった人たちの慰霊のお役にも立てたと思います。

 

さいごに

樺太時代の写真

お爺さんのアルバム、北方異民族慰霊碑の存在を教えてくれた教授、樺太の情報をたくさん教えていただいた扇さん、わがままを聞いてくれた現地ツアー会社などなど、様々な人の手助けのおかげで、樺太で自分がやるべきだと思った事はすべてやりきる事が出来ました。本当に感謝です、これからも忘れず日本とロシアと北方異民族の平和のために祈り続けていきたいと思います。

おわり

 

樺太(サハリン)の旅をまとめたこちらの記事もあります。

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